『挙句の果ては、飯を食わずにただ遠くからオレを見つめ続けるという恐ろしい戦法を取りやがって…』 『…ごめん』 『おかげで夢見が悪すぎて、一週間でギブだよ、ギブ』 『それで、死にそう、とか? 『オレの方が死にそうだったんだよ! それに、長々とオレの状況を語っただけじゃ、お前、冷静に伯父さんとかの顔色読んでぜってぇ来なかっただろ?』 図星過ぎて、言い訳も無い。 『長年この辺りに住み着いてるらしいからな、こいつ』 ふと、 『少なく見ても十歳だろ? そろそろ婆ちゃんだし、今連れてかなかったら、お前絶対に後悔するぞ?』 カリカリと、餌を食べ始めたユキの背中を撫でながら、俺は溜息を吐いた。 『きっと…日本で一緒に住むことは出来ると思う。マンションの同じフロアに俺用の部屋、用意して貰えてて、責任が取れるならペットも好きにしていいって言われてるから…』 『じゃあ今度こそ連れてけよ? 絶対そいつ置いてくなよ? チョー迷惑』 それが本音かと苦笑しつつ、 『んん…』 力いっぱい訴えてくる 『何だよ?』 『…問題はさぁ、飛行機なんだよねぇ』 昔からいる森の管理人さんに聞いて、ユキが成猫を超えた年齢だろうとは考えていた。 長く住んでいたこの場所から無理やり攫って行ってしまうのはどうかと思ったのともう一つ、慣れないケージに閉じ込められて、更に貨物室の中に連れられて行くユキとは、飛行機の中で一緒にはいられない。 渡航中、ペットが死んでしまった事例をネットで幾つも見てしまえば、ユキを連れていくなんて決断はそう簡単には出来なかった。 『乗せるのには、結構なパワー要る』 心配で心配で、十時間のフライトに、俺自身が耐えられるかも自信なんてない。 『――――――プライベートジェットなら、問題ないな?』 『…はぃ?』 この時初めて、俺は 真剣な表情でスマホを操作してる姿を見て、こんな必死の様子の ここまで 『ユキ、…ちょっとだけ反省しようか』 『んなぁぁ』 知らなぁーい。 そんな意味を含んでいるような、大きく欠伸をした後のユキの澄まし顔は、 『――――――おいで、ユキ』 むちゃくちゃ可愛いいから、良しとしよう、うん。 指を差し出すと、ユキは躊躇いもなく頬ずりをして喉を鳴らす。 しばらく意地悪して指を丸めてオアズケをしていると、手首に肉球を押し付けてきて恨みがましく俺を見る。 これで全体重をかけて怒りを伝えているつもりでいるらしいから、もうどうしてやろうかってくらい心の中はジタバタ。 ああ、可愛い。 可愛い過ぎる。 世の中にどれだけ猫動画があっても、俺のユキに敵う可愛さを持った猫が他にいる筈はない。 食事はオレの膝の上で。 昼寝もオレの膝の上で。 学校に行っている間はお留守番。 もちろんその間も事故や急病に備えて設置したカメラに繋いだアプリでチェック。 夜は一緒にベッドの中。 朝の目覚めも当然一緒。 『…ん』 今日も、目を開けるとユキの肉球が目前にあって、その向こうには無防備なユキの寝顔がある。 ああ、そろそろ肉球の間の毛が伸びてきたから、トリミングに連れて行こうかな。 走り回って滑ったら危ないし。 『…おはよ』 そんな事を考えながら、いつものように目覚めの声掛けをしてやれば、ピクリと動く耳が可愛い。 『んな』 身動きしないのに、返事をくれるツンと献身さのバランスが絶妙で、バンバンベッドを叩きたくなるような愛しさに溢れる。 『ねぇユキ、今日は外に散歩行こうか』 『んなぁ』 窓から差し込んでくる日差しが柔らかい。 近くにある公園は、春の溜まりがとても気持ちいい景色だと思う。 白のシーツに溶けるように全身を伸ばして眠るユキに寄り添うだけで、幸せを独り占めの気分。 『ああでも、こうしてダラダラするのもいいよねぇ』 『なん』 ユキを日本に連れ帰って早一年。 死んでしまった両親からは与えられなかった、"家族"という名の温かさを、ユキと二人で絶賛生成中だ。 ―――――― ――――― 『―――――― 公園の散歩コースの端っこで、草を食むユキをスマホで捉えながら眺めていると、数カ月ぶりの声に名前を呼ばれた。 振り返って見ると、そこにはクリーム色に近い淡い金髪と、今にも溶けそうなくらい煌くヘーゼルの瞳を持つ、まるでお伽噺の王子様を具現化したような人がいて、 『ルビさん。――――――千愛理さんは一緒じゃないんですか?』 『千愛理は今日は結婚式があってね。僕は一人で寂しく留守番』 そうは言うけれど、少し離れたところにはボディガードが数人。 手に持っているモバイルやスマホは、いつだって世界中に繋がっている、弱冠二十三歳にして富豪ランキング百位内ランカーとなっている実業家だ。 『元気そうだね、ユキ』 膝を折って屈んだルビさんに、ユキがすまし顔で近寄っていく。 俺以外にはあまり甘える事はないけれど、どうやらルビさんの事は嫌いじゃないらしく、細いけれど、その節はやっぱり大人の男っぽさがちゃんと見えるルビさんの指に撫でられると、僅かに目を細める。 頬を寄せたりはしないけど、顎を上げて喉を撫でさせるくらいの気前の良さは発揮するから、俺としては少しは複雑な気分だ。 『会うたびに綺麗になるね、ユキは』 十五歳くらいまで、マダムキラーと呼ばれて社交界を賑わせていたらしいルビさんは、今では一途に、数カ月に数日のスパンで日本に帰ってきては、千愛理さんを口説く日々。 一年前、 その時ルビさんと一緒だったのがこの近くで花屋を営んでいる佐倉千愛理さんで、 "…さくら…?" お互いにお揃いの指輪もしてるし、散歩中もずっと手を繋いで寄り添って、まるで会話の途中で決め事みたいに見つめ合うから、てっきり新婚夫婦だと思っていたのに、恋人同士ではあるけれど婚約者ですらなく、 『まあ、本宮は色々と複雑なんだよ』 ビデオチャットで それから交流が始まって、たまに四《・》人《・》で一緒にテラス席のあるカフェでお茶とかもしてる。 『そう言えば…』 ユキの喉を撫でていた手を止めて、ルビさんが立ち上がった。 『前にここで一緒だった彼女とはもう別れたの?』 『え?』 訊ねられて、記憶からその存在を思い出すのに数秒必要だった。 『――――――ああ、はい。そうですね』 近くの大学に通う二つ年上。 年頃の男子としては、綺麗なお姉さんに正面切って告白されれば少し浮かれて、経験がある人にリードされた方が色々成長できるかもという打算も勝って二か月程のお付き合い。 初体験までは早かった。 二週間くらいで自宅に連れ込まれ、気が付けば全部が終わってた。 コンドームも向こうが用意していて、どちらかという童貞を美味しくいただかれた感が凄くある。 俺はというと、AVに出てる人みたいな事、楽しそうにするなぁって彼女の積極性に対する感想が主で、初めての他人に導かれた射精感とか、生身の女の体は、柔らかくて男には持ちえないものだけど、そんなに執着心は湧かないなぁ…とか。 "――――――まあ、うん、気持ち良かったよ" 何て曖昧な感想をニヤニヤと揶揄《からか》ってくる 『そう、別れたんだ』 ふと、ルビさんが柔らかく微笑めば、同性の俺の目さえもチカチカする。 この人は、眩しくて見ていられない人が世の中には存在する事の、まさに証明。 『…もしかして、俺には分不相応な感じでした?』 女子大生というブランドがなくても、見た目だけで女性力満載の人だったから、高校生《ガキ》が相手にするなよって印象だったとか…? ちょっと不安になって尋ねてみると、ルビさんは少しだけ首を傾げて俺を見つめ、『ああ』と何かに気づいたような表情で口を開いた。 『うん。似合わないかな、とは思った』 『うわ、直球』 思ったよりも傷ついて内心項垂れると、直ぐに小さな笑いが追いかけてくる。 『君は愛でられるよりも、愛でるタイプだろうなと思っていたから』 ――――――? 『そうやってユキを可愛がるように、恋人はきっと、腕の中に囲ってしまうのかなって』 『…』 俺とルビさんが話し込んでいる間、再び草を食み食みしていたユキに目をやって、 『…確かに』 思わず、こみ上げてきた笑いと共に、改めてルビさんへと視線を戻す。 その初めての彼女と別れた理由は、俺の半端な気持ちもあったからだけど、決め手はやっぱりユキだった。 彼女の匂いをつけて帰ると、途端に機嫌が悪くなってお尻しか向けてくれない。 カリカリカリカリ、俺を呼ぶようにあちこちを爪でノックするくせに、寄って行けばソッポを向かれる。 "勘弁して、マジで" 最初は理由が判らなくて狼狽えていたけれど、 "嫉妬《ジェラス》だろ? そのクソ女《アマ》、だからオレは言ったんだ。厄介な女に引っかかりやがってって" 嫌な事を思い出したと言わんばかり、深く眉間を寄せた "ユキ…嫉妬してたの?" そういう事かと合点がいけば、別れ一択、決断は早かった。 残念だわ、と。 肩を上げて笑った彼女の態度が救いだった。 『今は確かに、ユキと一緒にいる時の方が、幸せみたいです』 本当に俺に恋人が必要なら、きっと運命の出会いはあると思う。 それまでは、ユキが恋人でいいのかな。 『な? ユキ』 『んなああぁ』 機嫌よく泣いたユキを見て、俺とルビさんは相槌を交わすように笑い合った。 |