小説:食べられる花


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Episode:資


 頭からシャワーを浴びて、念入りにシャンプー。
 ユキは俺の手も好きだけど、耳の後ろに鼻先を埋めて甘えるのも好きだから、いつもより念入りに磨かないと。

 『ねぇ、たくみぃ。もう一回しなぁい?』

 ドアの向こうからの呼びかけに、

 『しない』

 即座に返答。

 『もう、釣れないなぁ! またシャワーすればいいじゃん』
 『しない』
 『んんん! あたしも来週には彼氏帰ってくるからさぁ、今日で打ち止めなんだよねぇ』
 『彼氏?』
 『うん。社会人のカレシィ』
 『…』

 シャワーを止めて、ドアを開ける。
 目の前には俺のセーターを着た女が立っていて、

 『…脱いでくれないかな?』
 『ええ? いいじゃん。幾ら後腐れないセフレって言っても、ホテルの部屋の中は恋人ごっこの方が楽しいでしょう?』
 『俺がシャワー浴びてる意味なくなるよね?』
 『匂いで浮気を探るって、たくみの彼女って凄いよね。あたしは無理だなぁ。気づかなそう』

 あざとく上目を使って唇を尖らせて、

 『ねぇ、もう一回だけ。あたし、たくみのエッチ、好き』

 伸びてきた手が俺の胸に触れようとした寸でのところで、一歩下がってそれを避ける。

 『彼氏がいるなんて聞いてないよ?』
 『うん。聞かれてないし』
 『…フリーって言ったのは…』
 『ああ、カレシ二か月出張でぇ、昼夜逆転してるから、あんまり連絡も出来ないって言ってたからぁ、暇だし、フリーだし?』
 『…』
 『えぇ? 何その顔。君には彼女いるのに、あたしにはカレシいるのはNGなわけ?』
 『――――――確かに、そうだね』
 『そうだよぉ』

 まあ、一理あるか。

 『だからね? しよ? もう一回』
 『ごめんね。今日は彼女とスル予定があるから、俺も打ち止め』
 『…ちぇ』
 『楽しかったね』




 ――――――
 ――――

 『…で、服を買う羽目になったと』
 『けどやっぱりユキには気づかれてさ、昨日は一日ひどい目にあった』

 大学内にあるカフェのテーブルにうつ伏せた俺に、頭上から咲夜さくやの噴き出すような笑い声が一つ。

 『あの猫《女》、匂いとかじゃなく本能だろ。直感。女の勘ってヤツ』
 『それ、マジで怖いから』
 『ホラーだな。そろそろどうして自分を抱いてくれないのか、責め始めるんじゃないのか?』
 『マジやめて、咲夜さくや
 『自分の運命だと思って諦めろ。選んだのもお前だしな』
 『…片棒はしっかり担いだクセに』
 『オレかお前か、シンプルな選択肢だ。自分の平和を優先するのは当然。局面に犠牲はつきものだ』
 『あ〜、やだやだ、その為政者思考』
 『たくみ、その"為政者"を悪においた思考をまずやめろ』
 『わかりやすいでしょ、"已むを得ん"』
 『"王子様"が言うと茶番だな』
 『…夜の帝王に言われたくないけどね』
 『うるさい』

 夜の帝王。

 知人が経営するホストクラブで、気が向いた時にゲストホストを興じている咲夜さくやは、今や夜遊び好き女性達の注目株。
 夜の戦いの場に参戦すれば、売上指名数共にNo.1。
 どんなに売り上げが厳しい店舗でも、咲夜さくやが現れたとSNSで広がれば、あっという間に席は埋まる。
 未成年という理由でコーヒーの香りを漂わせ、大学があるからと深夜を過ぎれば帰るのに、だ。

 ただそれっぽく見える似非王子の俺よりも、普段から金髪藍眼の見た目王子様が色気を醸し出してふてぶてしく笑えば、それはもう、友人でも恥ずかしげもなく"帝王"と称してやれるくらいの存在感。

 こうして話している間も、まだまだ意識するような視線がチラチラと向けられてくる。
 目の前にぶら下げられている良い男に女子達が食らいついてこないのは、辛らつな言葉で玉砕した同類を何人も見ているからで、夜の咲夜さくやに夢中になって大学《ここ》まで押しかけてきた人が、馴染みのホストクラブどころか、系列の店もすべて出禁になって締め出されたという逸話も、頑丈なストッパーになっていた。

 こうして咲夜さくやとのんびりパブリックなカフェで過ごせるのは、その権威者的な存在感を放つ咲夜さくやのおかげだけど、――――――騒ぎの元もおおよそが咲夜《こいつ》だから、あまり功労的な意味で感謝はしていない。

 咲夜さくやが"大学は日本にしようかな"と言い出した時、正直、面倒くさいと思ったし、それを本人に見抜かれて、嫌がらせのようにその場で移住は決断された。

 それと同時に、俺の後見人でもある伯父さんや佑《たすく》と、競合他社に背中を追われて疲弊が始まっていた日本の通信会社のM&Aを始めたらしく、日本でのビジネスの足場をたった半年で作り上げた時には、さすがに驚かされたけれど。


 『二人とも、おつかれ〜』

 なんとなく沈黙していた俺と咲夜さくやの間に、カフェ中に響くくらいに元気な声でやってきたのは道平亜希。
 最初は、近所のストリートバスケをユキと見学している時にフェンス越しに話すくらいだったけれど、仲良くなれば同じマンションの住人って事で俺の部屋に遊びに来るようになった奴だ。
 見惚れてしまう程に栗色の目が印象的で、人当たりが良いから男女問わずによくモテる。

 ちなみに、ユキには救いがないほど嫌われている。
 ゲームのし過ぎで二人してそのまま寝落ちして、TVの前で朝を迎えた時なんか、ジーンズに綺麗な地図が描かれたくらい。

 咲夜さくやより悲惨だ。


 『つっちーのレポート仕上げた?』
 『まあ、一応は』
 『俺も』
 『マジで? あ〜、どうしよう、オレやばい。来週提出できる気、ぜんぜんしない』

 咲夜さくやに続いて俺も頷くと、亜希は座り込んだと同時にうつ伏せる。
 内容は違えど、何となく既視感《デ・ジャ・ヴュ》な光景に、咲夜さくやは小さく溜息を吐いた。

 『女に時間取られ過ぎなんだよ。少しは制御したらどうだ?』
 『わかってるんだけどさぁ、梨絵ってほんとスキで、オレだってあんな感じで迫られてきたらちょっと止《と》まれないって言うか止《や》めたくないって言うか…。な? わかるだろ?』

 出来るだけ傍観者でいたい話題だったのに、俺を見るのか、お前。

 『…そこで俺に振るな』
 『振るよ! セックスに溺れるのはオレが情けないからじゃないって、証明! 元カレのお前なら出来るでしょ?』
 『…お前な』

 別に亜希が嫌でないならいいけれど、人によっては結構複雑な内容だと思う。

 今、亜希が付き合っている彼女はこの大学の四年生で、そして、俺の初体験の相手。
 そう言えばこの大学だったなと、思い出した時には、既に亜希と付き合いだした後で、

 "残念ね"

 そう微笑んだ時の印象が強かった梨絵は、確かに、綺麗な思い出には型取っていたけれど、他の女の体を知った現状で振り返れば、


 『まあ、否定はしないけど』


 …梨絵の、セックスへの貪欲さと探求心や好奇心は、軽く見積もっても人の三倍はあると思う。


 あれから三年。
 梨絵も相当な進化を遂げていると考えれば、それなりに経験がある亜希でも、もしかしたら白旗を上げるくらいの…。


 『それほどのテクねぇ…』

 俺の気持ちを代弁するかのように呟いた咲夜さくやへと、亜希が目を見開いた。

 『ダメ、興味持たないで! オレ、咲夜さくやとは女取り合いたくない』

 真剣な表情でぶんぶんと首を振る亜希に、

 『バァカ、お前の女に興味なんか持たない。第一、人の女《もの》は盗るなってのがうちロランディ家訓ほうりつだ』

 頬杖をついて呆れ顔を返す咲夜さくやの、この冷たさがまた雰囲気を醸し出して、ウェブで『イケメン 外人』で検索かければヒットする、世界的なモデルを彷彿とさせる。
 良く見れば、端整だけど派手じゃない顔の造りを持つ咲夜さくやの見目価値は、髪色と瞳の色で数段アップグレードされていて、それで全体的にノーブルな印象が押し出されるというからくり。

  …からくりって単語で説明すると、なんか咲夜さくやが胡散臭いみたいだな。

 でも、父親は生粋の日本人なのに、よくも優勢遺伝子の黒を抑えこんで、ここまでの美を残せたなと感心する。
 母親がロランディの直系だから、血が――――――遺伝子が強いという事…?

 『いやいやいや、家訓じゃなくても、咲夜さくやが友達の彼女には手を出さないってのは信じてるよ? 信じてるけど、お前がそういう目で見たら、女の方がふらふらお前に走っちゃうでしょ? 咲夜さくやに罪はなくても、カップルの間に波紋は生めるって影響力は自覚して、世の中の為に!』
 『めんどくさい』

 亜希の力説をさらりと躱してスマホを触りだした咲夜さくやに、俺はふと、前から疑問に思っていた事を口にした。


 『ロランディ家って言えばさ、良い意味では中流以下の世界においては義賊的な企業って有り方を示してるけど、別の見方をすれば企業の買収はお家芸。やり方もロランディ流って言葉があるくらい強気なのに、人の女は盗るなとか、その家訓は結構意外だったんだ。どうしてなの?』
 『その疑問わかるわかる。オレも不思議だった。なんで"女だけ"、盗っちゃ駄目なの?』

 身を乗り出した亜希と俺に交互に視線を渡した咲夜さくやは、背もたれへと体を預けて口を開く。

 『ロランディ家は、初代から政略結婚によって少しずつ勢力を肉付けして大きくなった背景が色濃くある。もちろん、時勢が移って自由恋愛になっても躍進は右肩上がり。信頼や愛情、その時なりの運命の出会いを後ろ盾に、ロランディは順調だったが…、一度だけ、その屋台が揺らぐ程に衰退した事がある』
 『ああ、そういう事なんだ』

 そこまで聞けば、理解出来た。

 『え、その時の当主が略奪愛をしちゃったからって事?』

 亜希も同じように飲み込んだらしく、直球で尋ねる。

 『当主というか、その兄弟が、だな。歴代ロランディの中でも垂涎たる貴公子だったらしい。一目惚れした子爵の奥方を何度も誘惑し、陥落させた。――――――まあ、気軽にセックスする程度の不倫関係ならそれまでもあったと思うが、その女がロランディ家の一員として振る舞うようになってから情勢が悪い方へ転がったのが切っ掛けだ。それが理由じゃないって事は、誰も知っている。何十年と過ぎた今、オレでもそれを証明できる程に要因の究明は簡単だった。だが、当時のプライドがロランディの弱さを認めたくないという指針になった。馬鹿馬鹿しいが、それに背かないという規律が、一族を強くする鎖にもなっているんだ。そう考えると、家訓というより教訓だな』
 『誰かの幸せを壊すような愛し方はしない。それを破らない限り、ロランディは有り方で強くいられるって事だね』
 『おまじないみないなモノかぁ』

 うんうんと頷いた後、亜希が苦笑する。

 『咲夜さくや、好きな子に彼氏がいたら大変じゃん。絶対に奪えちゃうもんね』
 『…オレはロランディ家の中でも特に、その男に姿かたちが似ているらしい。だから母親には、恋人を選ぶときは覚悟して挑むように言われている』

 これまで、一度も見た事のない咲夜さくやの真剣な表情に、さすがの俺も茶化す気はなくなった。

 『それは、ロランディを潰すという意味で?』


 すると、


 『いや』

 咲夜さくやは、オレの問いにゆっくりと首を振った。


 『惚れた女を、一族の"そういう目に晒す"という意味で』


 数秒の間、無言が走る。


 ――――――なるほど、だ。


 『…ごめん、なんか、咲夜さくや、オレ応援してる。色んな意味で。どうか無事に平和な恋人に出会えますように!』


 亜希の祈りを横目に、


 『願うな。オレはそういうのは、面倒くさいからまだいい』


 ――――――と、


 他人事のように振る舞う咲夜さくやが、その運命に出会うのはこの日から少し後の事だったらしい。








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