小説:食べられる花


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Episode:資


 『――――――え、伯父さんの会社に?』


 従兄の佑《たすく》を通してそんな話がやってきたのは大学三年の夏。

 『そ』
 『…それって』

 伯父さんの、隠す気もないだろう大きな打算に気づいた俺に、佑《たすく》は苦笑した。

 『ま、そういう事。俺が親父の跡を継いで社長になる頃には日本のロランディ関連の会社は咲夜さくやさんの仕切りになってるだろうから、出来ればって思ってるのかな。もちろん、お前がやりたい事が特にないって事が前提にはちゃんとあるよ?』

 お世話になってる人にそう言われるって、もうそれだけで脅迫に近いでしょ。

 『わかった。考えておくね』
 『あまり悪く取らないでくれよ? 会社にはいずみだっているし、俺だってお前が近くにいるのは安心する』
 『ちゃんと考えるよ』

 仕事があるからと早々に踵を返して去って行った佑《たすく》を見送って、笑みを消す。

 悪いように取っているつもりはない。
 だけど、好いようにも取れない。

 成人して後見人としての関係は切れても、親族という糸は容易くは切らせては貰えず、同じマンションの同じフロアに、一人と一家族。


 『ん、なぁ』


 足の間にすり寄ってきたユキの声に、ふと笑いが零れる。


 『忘れてないよ。ごめん、俺にはユキがいたね。一人と一匹』

 両手で抱きかかえて肩に前脚を乗せてやると、耳元でゴロゴロと喉を鳴らす。
 伸びるように長くなったユキの体を撫でながら、俺は、目覚めかけていた感情の一部にしっかりと蓋をかぶせた。




 夏休みはユキと室内でまったり過ごす事がほとんど。
 たまに亜希に誘われて合コンに行ったり、咲夜さくやとプールバーで遊んだり、後腐れない女の子と遊んだり。

 時間に余裕があるという意味ではなかなか優雅なロングバケーションを終えて、季節は文化の秋を迎える。
 俺は全く興味ないけれど。

 『ねぇ〜、たくみ、マジで出ない? ミスターコンテスト』
 『出ない』
 『頼むって、マジで』
 『出ない』
 『咲夜さくやなんか目も合わせてくんないしさぁ』
 『…俺もその手で行こうかな』
 『うわ、ごめん、もう言わないから、縁切りだけはやめて』

 実行委員に担ぎ出された亜希は、伝手を使っての目玉余興に大いに活用されているらしい。

 『なんでオレ引き受けたかな〜。七緒と遊ぶ時間削られるし、友達失くしかけるし』

 七緒ちゃんは今亜希が、名付けて"お友達から作戦"で猛烈口説きにかかっている女の子。
 同じ年だけど短大部だったらしく、今年の春に卒業してどっかの不動産会社に働いている社会人。

 一目惚れして探し当てた時には既に彼氏がいて失恋。
 それからは少し荒れて咲夜さくやも心配する程の適当な付き合いが短期間で繰り返されたけれど、早々に破局したらしい七緒ちゃんとのチャンスを、彼女の親友であり、亜希の友人でもある夏芽ちゃんが作ってくれた。

 実行委員を引き受けたのはその話が沸いて出るより少し前。
 タイミングが悪かったとしか言いようがない。


 『――――――あ、もしかして咲夜さくや、また抜け出してる?』

 唐突に切り出した亜希に、俺は肩を上げた。

 『ん、多分』
 『そっかぁ…』

 浅い溜息と共に、言葉がテーブルに落ちる。

 『よりによって彼氏持ち見染めちゃうとか、辛すぎ』
 『うん…』

 夏休み、俺がユキとまったり過ごしていた最後の週に、どうやら咲夜さくやには運命の出会いがあったらしい。
 どこの誰とか一切口にせず、それでも、その彼女とのやり取りを思い出すのか、嬉しそうに口元が緩んだ咲夜さくやが亜希に揶揄われるのを見るのを楽しめたのは少しの間。

 気が付いた時にはもう、まるで出会いなんて無かったかのような寡黙な態度へと一転していて、それと同時に俺達は察した。

 心惹かれた相手が、"人の女《もの》"だったんだと。

 自分で終わらせようとしているのなら周りがつつく事も無いと、しばらくは見守っていたけれど、時々大学を抜け出すようになってからはさすがに心配が募った。
 諦める気がないのか、それとも諦めきれないのか。
 それを語る事も拒まれている感じがして踏み込めないから、俺達は無言で見守るしかなくて、


 『そう考えるとオレなんか、努力できるだけマシだよな。うん。よし、頑張ろう』


 拳を握った亜希の決意に、小さく笑って返しはしたけれど、
 正直、そこまでして何かを欲しがった事がない俺としては、あまり共感できる要素がなく、


 『あ、オレには関係ないって顔してるけどさ、たくみ。よおおくよおおおく考えてみてよ。どっかの発情期のオス猫がさ、びったんびったん尻尾を振りながらユキの周囲をうろつ…』
 『捕獲して去勢』

 遮るように言ったけれど、実際には、老猫のユキには、オス猫に効くようなフェロモンはもう出てないとは思う。

 『…うん、そう、そんな感じの牽制を、七緒に他の男が寄ってこないようにオレ頑張ってるところ』

 なるほど。

 『頑張ってね、亜希』

 素直に伝えたのに、何故か亜希からは、胡散臭いものを見るような目線が返された。




 一本は18金の細いチェーン。
 もう一本は、安全性を重視して1.5cmのある彫刻の入ったバングルタイプ。
 俺の手首とユキの首にキラキラ光るのは、オパールの花がモチーフとして揺れるお揃いのアクセサリ。

 『うわ〜、ないよ、ないない』

 なっちゃんこと、夏芽が大笑いしながら首を振ると、恋人の巽がそれをたしなめる。

 『夏芽、悪いよ』
 『いやでも、これ、"Stella"の未発売品だよ? 軽く見積もっても十万はするよ? 普通のカップルでも躊躇する逸品だよ?』
 『…まあ、うん、そうだね』

 気まずそうに明後日の方を見た巽も、どうやら本音はそこにあるらしい。

 『でも可愛いね、ユキちゃん。よく似合ってると思うよ?』

 そう言いながら、俺の腕の中で少し警戒心を出しながら周囲を窺っていたユキの頭を撫でたのは、亜希の想い人の七緒ちゃん。
 ペアルックを褒められて気分が上がったのか、つんと空を向いて喉を出したのに七緒ちゃんも嬉しそうだ。
 昨日トリミングに行ったばかりだから白の毛は真っ新な雪を思わせる輝きで、雲がかかる度に大きさを変える瞳孔にみんな釘付け。

 『凄い、神秘的』
 『なんでこんなにおっきいの?』
 『きゃあ、ぬいぐるみみたい、可愛いねぇ』


 今日は大学の文化祭。

 入れ替わり立ち替わり感嘆を投げられる度に、ユキの気分は上がり調子だったけれど、次第にそれにも飽きたらしく、今では尻尾が揺れ始め、誰に何を言われても俺の胸に顔を埋めるだけであまり動かなくなった。

 そのくせ、俺に話しかける女子には凄く真っ直ぐな視線を向けるから、

 『なんだ、人並みにライバル牽制中か? 生意気な女だな』

 意地悪い笑みを浮かべた咲夜さくやに指先で鼻を弾かれて、

 『んなッ』

 『ッ』
 『あ、こら! ユキ』

 この時だけは、爪を出した猫パンチが飛び出した。

 『ごめん、咲夜さくや。傷ついてない?』
 『…いや。昔よりマシだ。――――――ちょっとは淑やかに見える』

 首のチェーンに目を留めて、『悪くない』と口を斜めにした咲夜さくやに、ユキがついと顔を背けた。
 そんな態度にも構わず、大きな手で頭を包んで二度ほど乱暴に撫でた咲夜さくやに対し、ユキもされるがまま。

 こういう時の二人の間には、俺にも入れない空気がある。

 『けど、まさか本当にペアを注文するとか、照井さんが大笑いしてたぞ』
 『どっちかって言うと、あの時のルビさんの表情の方が見物だった』
 『それも言ってた。社長のあんな間の抜けた顔を見るのは初めてだって』
 『…まさかあんなに退かれるとは思ってなかったけど』


 あれは夏休み前の事。
 ユキとの散歩の途中に、偶然通りかかったルビさんの経営する"Stella"の、キラキラしく店頭にあったペアのブレスレット、その予約受付中のポップ。
 ちょうどユキの首輪を新調しようと考えていたタイミングで、どうせならペアもいいかもと思い至り、

 "たくみ? 僕に用? それともお客様?"

 たまたま店にいたらしいルビさんが、俺を見つけるなり天使の笑顔で歓迎してくれて、

 "あら、社長のご友人ですか? 今ちょうど、ブレスレットのご予約を――――――"

 担当してくれていたスタッフ、照井さんがそう言ったところに、

 "たくみ、恋人が出来たの? ならシリーズからじゃなくてオーダーメイドにするといいよ。照井さん、デザイン料は僕の持ち出しで構わないから"
 "かしこまりました"
 "あ、ルビさん、俺――――――"
 "良かった。漸くたくみにも大事にしたい人が出来たんだね。余計なお世話かもしれないけど、千愛理と心配していたんだ。早くたくみの傍にいてくれる人が見つかればいいのに、って"

 あ、なんかやばい。
 俺がそう思ったのと同時に、

 "んなッ"

 腕に抱いていたユキが、早く訂正をしなさいよと促してくる。

 "えっと、すみません、ルビさん"
 "え?"


 "――――――欲しいのは、俺とユキの……です"

 "…え?"


 あの時の、ルビさんのヘーゼルの向日葵は、未だにベスト1の大きさだ。




 『でも、それが切っ掛けで"Stella"のスノーホワイトシリーズは生まれたワケでしょ? しかもシリーズの中でも人気ラインになりつつあるって』
 『夏芽、それオフレコ物件ね』
 『わかってますよぉだ』

 美人だけど明け透け派の夏芽ちゃんと、噛めば噛むほど騎士的な味が出ると密かに人気がある生真面目な巽の掛け合いに、七緒ちゃんが小さく笑った。

 『うん、とても良く似合ってると思うよ、ユキちゃん』
 『んなん』

 『うひゃあ、七、今のユキの顔見た? 何言ってんの、当たり前じゃない、的な?』
 『なっちゃん…。でもほら、手が可愛い、たくみさんの手首にずっと置かれてる』
 『ほんとだ。いやん、爪立てないでね〜』
 『夏芽…』

 和気あいあいとした雰囲気の中、咲夜さくやが不意に立ち上がった。

 『咲夜さくや、もう帰る?』
 『ああ。外部の人間が入ってくる時間だ』

 日本に来てからは特に、その外見で騒がれる事には慣れていて、だけど煩わしさに対しては自分が妥協する必要はないと行動する咲夜さくやは、大きなイベントからは当たり前に姿を消す。

 『じゃあな』

 恋を知ったらしい咲夜さくやは、表情に憂いが加わって色気が増したけれど、ホストのバイトの数も多くなったり少なくなったり、精神面では少しだけ不安定になっているような気がする。

 その危うさもまた人気のレシピらしく、素っ気なくされると胸が疼いて、たまに優しく微笑まれると胸が痛い、そんな起伏を齎してくれる咲夜さくやは、もはや夜を渡り歩く女性達にとっては不動のNo.1らしい。



 『ユキ、食べる?』


 ジェル状のおやつを取り出せば、さすがのユキも、俺よりそっちに夢中。
 一時的だけど。

 小さな舌が懸命に美味しさを舐めるのを見ながら、牙の形の可愛さとか、なんでこんなに鼻が可愛いんだろうとか、幸せに浸っている内に実行委員で忙しい筈の亜希がやってきた。

 一目散に、七緒ちゃんの元へ。


 『七緒ちゃん、オレが誘ったのに相手出来ないとか、ほんとごめん! 暇してない?』
 『大丈夫だよ、亜希君。ちゃんと楽しんでるから』
 『これ特典でもらった食事券、たこ焼きと焼きそばと、あとアイスもあるから』
 『いいの? ありがとう、亜希〜』
 『夏芽…、やめなさい』

 弾む会話を眺めながら、満足気に欠伸をしたユキの口元を指で拭ってやると、それをまたユキが舐める。
 ザラザラとした感触が指先を擽るのを黙って受け止めていると、亜希の言葉が俺を向いた。

 『咲夜さくや、もう帰った?』
 『うん』
 『そっかぁ、あああぁ、コンテストの目玉…』
 『まだ諦めてなかったんだ? まあ、いたとしても、咲夜さくやが出る筈ないと思うけど』
 『だよねぇ。――――――たくみは…』
 『出ない』
 『だよねぇ』

 って言うか、

 『亜希、なんでそんなに必死なの、ミスコン』
 『んんん、隣の大学でさ、先月あったじゃん、学祭でミスコン』

 言われて、記憶を探る。

 『あったような、気はする』
 『あったの! 結構好評でさ〜、一個下の西脇ちゃんって普通っぽい子が番狂わせの準グランプリ! 大学のHPには彼女の変身振りを利用したキャンパスライフのキャッチコピーまで出来ちゃって、入学説明会の問い合わせが増えたとか増えてないとか、そしたらうちの学長も期待に目を輝かせちゃって』
 『…二番煎じ』

 ぽつりと呟いた巽に、心の中で激しく同意。
 たまたまダークホースが花開いた結果に、IT効果が入っただけだよね、それ。


 『うちの今日の受賞者と、隣の受賞者でお茶会とかして、それをネット配信して双方の宣伝もしてやろう! みたいなのもあって』
 『雲の上は盛り上がってるね…』

 今度は苦笑を混ぜた巽に、俺も思わず噴き出してしまう。

 『確かに。そんな宣伝活動なら、なおさら咲夜さくやは出る筈ないよ』
 『それも解ってんだけどさぁ、――――――なんか凄く良い子なんだよね、西脇ちゃん』


 亜希にしては珍しく、綺麗な顔立ちを、微かに憂いに染めて弱い笑みに緩めた。


 『咲夜さくやに会わせてみたいな〜って、ちょっと思ってた』


 なるほど、執拗な勧誘の軸はそっちだったか。


 『――――――それでも、どうかなぁ。咲夜さくやは俺達が考えているよりも、凄く頑固だよ、きっと』


 咲夜さくやの問題に首を突っ込まないのは、みんなそれが理由。
 どうしたいのか、意思を自ら示さない咲夜さくやに、誰も何も出来ずにここまできた。


 何かを言おうとしても、咲夜さくやの目がそれを許してくれない。

 それはつまり、いつだって自分で未来を選択してきた咲夜さくやが、誰かからの助言で意思を揺らすかもしれないという怯えの証。


 "そこまで惚れているなら奪いに行けよ"

 略奪して付き合ったとしても、一族からの迫害を受ける結婚まで行くなんて、可能性はそう高くない。

 親友の"今"を思う俺達に焚き付けられて、"それは出来ない"と、そう応えられる自分に自信がないから、咲夜さくやは決してその恋の顛末を俺達には話さない。

 打ち明けて、慰められて、そして崩壊するだろう自分の決意を、何より咲夜さくや自身が疑っていないんだと思う。


 『俺達が全てを知るのはきっと、――――――咲夜さくやの想いが涸れ尽きた時でしかないと思うよ』
 『…かな』

 亜希が頷いたのと同時に、俺の肩に顎をおいて目を閉じていたユキの喉も、短く鳴った。








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