小説:食べられる花


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Episode:資


 ――――――
 ――――



 ――――――たくみ君! 直ぐにお家に戻って、ご両親が――――――



 人の死と初めて向き合ったのは九歳の時。
 比較的まともに俺の面倒を見てくれていたメイドが亡くなったのだと、母親に連れられて埋葬に参列した事がある。

 天国に行ってしまった。
 もう会えない。

 そんな子供から焦点をずらす言葉ではなく、

 "明らかにしていないけど、脳挫傷だわ。家族の誰かに暴力を振るわれたのかもしれない。たくみ、良い子だからあそこの家の人にはもう近づかないようにしてね"
 "はい"

 今ならわかる。

 あの時、微笑んで返事が出来た俺は、子供として歪だった。
 そしてそれに気づかない母はきっと、専門的な目で見れば、母親としては不合格だった。


 それから三年、両親が突然死んだ時も、俺の感情はまだ歪で、
 佑《たすく》に手を握られながら最後に見た両親の顔に、特に何も思えない自分に困ってしまった。

 親密さは無くても、真面目に世話をしてくれたあのメイドにもう会えないと感じた時の方が、もっと胸の奥に温度があった。
 空っぽとも言える肉親への思いの希薄さに驚き、けれど次第に、自分はこの親から生まれた子供なのだから仕方ない、よく似ていると言われればそうなんだろうと、どこかで笑いさえ覚えて…、


 "たくみ、一緒に暮らさないか? 中学も、佑《たすく》が卒業した学校が家の近くにあるんだ。便利だぞ?"
 "…"

 俺を遠巻きに見る人達の顔色を窺う。
 一度に両親を亡くした俺を見る、その目に込められた様々な感情。

 特に伯父の奥さんは、きっと優しい人なんだと思う。
 全身で同情を見せて、この状況に俺以上に疲弊していた。


 "…――――――いいえ、両親と進学を約束していた学校があるので、そこに通いたいと思います"

 それは、とても卑怯な言い方だったと思う。


 "そうか…、なら、仕方ないな"

 伯父の言葉に安堵がこめられていた気がするのは、その罪悪感を打ち消す為に、俺が期待した事だったのかもしれない。



 ――――――
 ――――

 目を開ける。

 見慣れたいつもの天井の模様。

 首を動かせば、傍にはユキの、白い身体。



 『――――――…ほんと、嫌《や》な夢…』


 両親が死んだ日の事を、このところ連日で夢に見ている。
 目覚めるたびに、"失う事"への耐性をつけられているみたいだ。



 『んなぁぁ』

 ユキが、敷かれたタオルを這うようにして耳元に擦り寄ってきた。

 『ユキ…』

 まだ温かい体と、その鼓動に安心する。


 『今日は、ちょっと動けたね』

 指の背で口横のヒゲの付け根あたりを摩ってやると、気持ちよさそうに目を細めたユキの鼻がカサカサになっているのに気がついて、慌ててベッドヘッドに置いてあった水で指を濡らした。

 『舐める?』
 『んなぁ』
 『…今日は、声も出る?』


 ユキが、何故かベッドから降りようとしなくなったのは数日前、桜の開花宣言が出た日の事。
 どこか怪我をしているのかとかかりつけの獣医に連れて行けば、老衰だろうと診断された。

 "犬や猫は、人間よりも別れに敏い生き物です。飼い主が悲しめば、心配して安らげませんからね。特にユキちゃんは、きっとお母さんのような目であなたを見ているから、…強く、いつも通り暮らして、見送ってあげるのが一番だと思いますよ"


 『…ユキ…』


 ここしばらく、熱が上がったり下がったり、動く事も鳴くことも出来なかったのに、

 Last rally…。

 過る単語に、否定したくて首を振る。



 『…ユキ、お母さんだってさ』

 獣医に言われたあの時、不本意だと言わんばかりに、ユキの尻尾が動いたのを見逃してはいない。
 今だって、その黒い瞳を大きくして、"お母さん"と呼ばれた事に対する見解の真意を見極めようと、ジッと俺を見続けている。

 『わかってるよ。ユキは俺の恋人。間違えてないよ。あの森で出会った時から、ユキはずっと俺の特別』


 ゆっくりとした瞬きが、ならいいけど、という答え。


 『ユキ…』

 いつか誰かに、家族の事を聞かれたら、俺はきっとユキを思う。


 『ユキ…』

 いつだって、誰の事よりも、ユキを想う。


 『ん…なぁ…』

 ユキの手が、俺の手首を何度も引っ掻いた。
 白のオパールでスノーホワイトという花を模したブレスレットが、ユキの懇親の力に切れそうになる。


 『…なぁ』


 言葉もないのに、


 『そっか…』

 何が言いたいのか、俺にはわかった。



 『――――――いいよ、ユキ。ユキにあげる』
 『んなあぁ…』
 『今の俺の中にある感情は、全部ユキからもらったものだから』
 『なぁ…』
 『一人になっても俺が泣いたりしないように、ユキが全部持って行って――――――』


 クロスされたユキの手に、俺の手首にあったブレスレットが絡み取られていく。



 『大好きだよ、ユキ』
 『なぁ…』


 ずっと。

 ずっと。


 永遠に信じられる想いの事を、こうして最後に、また一つ教えてくれたユキの事を、


 『――――――ユキ…』
 『……』


 『ありがとう…』


 その日の夕方、俺の代わりにしたブレスレットを抱きしめるようにして白い身体を丸めたまま、ユキは穏やかに息を引き取った。





 ユキがいなくなったそれからの日々は淡々としていた。
 誰と何を話しても、見た目を活かして楽しそうな振りをすれば王子様の微笑みだと都合よく解釈した女性達は色んな方法で傅いてくれる。
 俺はただそれを快く受け取るだけで時間は平穏に流れるし、咲夜さくやや亜希を中心とした特定の人々と関わっている内はそれなりに自分らしくいられたから、この状態に問題があるとも思えなかった。


 どちらかというとこの時期、問題を抱えていたのは咲夜さくやの方で、いつから関りを持っていたのか、アプリ開発サークルの奴らと開発したホスト育成アプリを小規模ヒットさせ、資本は少ないけれど、その三人と開発会社を立ち上げたからには、このまま日本に居続けるつもりなんだろうと思っていたのに、

 『卒業したら、しばらく日本を離れようと思う』
 『咲夜さくや…』

 日曜に、ビールとナッツ片手に珍しく俺の部屋を訪ねてきたかと思えば、そんな宣告。

 長い付き合いだから知っている。
 これはもう決定事項だ。

 俺がどう意見や思いを告げようと、その決断は変わらない。

 『…』

 膝の上に、ユキを抱いているような錯覚に捕らわれる。

 『――――――そう』

 ため息に似た応えを返せば、咲夜さくやがその蒼い眼差しを真っ直ぐに向けた。

 『お前は決めたのか?』
 『…うん。二社から内定は貰っているけど、多分伯父の会社に入るよ。面接まで縁故って事は隠してもらえたし、佑《たすく》にも将来的には力になって欲しいって言われてる。それを拒否する程に、個人的にはしたい事もないしね』

 そこまで言って、ふと気づく。

 『ああ、でも、そっか…。あの会社は咲夜さくやがオーナーだし、行く行くは咲夜さくやと一緒に仕事が出来るって考えれば、少しは楽しみかな』

 これは本音。
 それが伝わったのか、咲夜さくやは少しだけ安心したように目を細めた。

 『いつかは、日本に戻ってくるつもりだからな、お前がそう言ってくれるのは力強いよ』

 外国産のビールをグラスに注ぎ、わざわざライムをカットして添える飲み方への一手間が咲夜さくやらしい。
 いつだったか、咲夜さくやに折り曲げたライムの皮で攻撃された時のユキの様子を思い出した。

 あれ以来、咲夜さくやに向ける猫パンチが爪出しになったのはユキにとっては当然の報復だったと思う。

 『それで、どこ行く予定? オーストラリア? それともシンガポール?』

 どちらもロランディから咲夜さくやに分配予定のグループ会社があると聞いていた国だ。

 『いや。――――――リトアニアだ』
 『リトアニア?』
 『ああ』

 リトアニア共和国。
 バルト三国で聞きかじったくらいだけど、確か他国支配の歴史が何度かあって、年代によって母国語が異なる、かなり民族的な印象が強い国だったような…、

 『…咲夜さくや、リトアニア語話せたっけ?』
 『挨拶程度だな。まあ伝手があって行くわけだし、オレ達世代以下は英語を話せるのが普通らしいから大丈夫だろう』

 伝手と言われて、思い当たったのはパブリックスクール時代の同級生だった。
 寡黙で、いつも本ばかりを読んでいた優等生。

 『アンドリュー・レイゼン?』
 『よく覚えてたな』

 そう言われて笑われるほどに、彼と話をした事はほとんどない。
 けれど、母国の旧王族の血を引いているらしいなんて噂もあって誰からも遠巻きにされ、なのに一挙手一投足見られている感じが気の毒だなと、咲夜さくやとは別の意味で理解していた存在だった。

 『今でも繋がりがあった事がびっくり』
 『一昨年イタリアのパーティで偶然会ったんだ。相変わらずだったが、リトアニアのICTの事でディベートしている内にお互いに利益がある話に結び付いた。去年からビジネスパートナーとして一枚噛んでる』
 『そうなんだ』

 想いすら告げられずに諦めたらしい彼女の事で思い悩む傍ら、そう動けた咲夜さくやは根っからの企業家だ。
 それはロランディという血筋からくるものなのか、齎された教育からくるものなのか。



 『――――――近くにいると、どうしても、探してしまうから、今は、日本を離れるのが正解のような気がするんだ』




 ボソリと、咲夜さくやの唇から零れたその言葉は、その事に対する初めての吐露で、


 『近く…?』

 聞き返した俺に、今にも泣きそうな程に歪んだ表情が無理に笑みを作っている。
 ビールはまだ二本空けた程度、いつもの咲夜さくやなら酔う程の量でもない。


 『隣の大学の女なんだよ』
 『え?』

 観念したように告げられたそれに、俺は心底から驚いた。
 ほんとに近い…って言うか、よく今まで噂にならなかったと思う。

 咲夜さくやの視線を追えば、勘のいい女は絶対に気づいていた筈だ。

 『…どこで見つけたの?』
 『本屋、駅前の』
 『ああ、あそこ…か…』

 ビル全体が店舗になっているその本屋は、カフェで新書が試し読み出来るサービスがあり、日本に来たばかりの咲夜さくやに、暇つぶしスポットとして俺が最初に教えた場所だ。

 『学祭で準ミスになったって知ったのはそれから半年後くらいで』


 …準ミス…?


 『待って、え? 咲夜さくやの好きな人って、西脇サヤちゃん?』


 一瞬、頭が混乱した。

 そんな俺をよそに、咲夜さくやは苦笑を見せる。

 『…やっぱり、お前も知ってたんだな』
 『え…と』

 ちょっと、待って、

 『亜希の口からその名前が出た時はマジで驚いたよ』
 『亜希? 亜希も知ってるの? その、…咲夜さくやの好きな人がサヤちゃんだって…』
 『いや、そのままスルーした』
 『それは、』

 良かった――――――と。


 俺が思わず考えてしまったのには理由がある。

 なぜなら、亜希が咲夜さくやにそのサヤちゃんを紹介してみたいと言っていたあの時期は、


 『…サヤちゃんって、去年の末頃まで、フリーだった、よね?』
 『…ああ』

 今の咲夜さくやは、それを知っている。

 でも、

 『なんであの時、サヤちゃんには彼氏がいるって思ってたの?』








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