そこが、理解出来ない。 真偽すら確かめる事が出来ないほど、 『…話すと、長いんだよ』 『 『で、オレはまだ、誰かにその自分のミスを話す気にもなれないってとこだ』 痛恨の極み、そんな言葉しかあてられない表情をした 西脇サヤ。 亜希と話しているのを遠目に見た事があるくらいだけど、何がそんなに、 『日本を出たら、忘れられそうなの?』 『…どうかな。でも、穏やかに過ごす事が彼女の幸せなら、オレみたいなのは関わっても迷惑なだけだろうとは、思った』 珍しい 『彼女だけが女じゃないよ。他にもきっと――――――』 『 ガン、と。 乱暴に持っていたグラスをテーブルに叩き置いた 『お前は、これがユキだと白い猫を差し出されたら、それでいいのか?』 低い声に、胸が潰される。 嗚咽に近い慟哭が、体を震わせる。 『――――――ごめん、 『いや、オレも、…言い過ぎた』 沈黙が流れる。 ビールの炭酸が弾ける音だけが、耳に届く事、数分。 『 刻むような 『オレも、前に進んでみる。――――――お前も、進め』 "お前も進め――――――" ――――――なんて…、 決め台詞のような激励を 『では! 我ら盟友が無事帰国したことを祝って、かんぱあああぁぁい』 俺は顔しか知らなかったけれど、 『お帰り、 『お帰りなさーい』 『カンパーイ』 そして、その男女問わず様々な職業《スキル》を持つ友人達に次々と声をかけられては流し目の先を移動して微笑んでいる黒髪黒眼鏡、そしてその奥にある眼差しは不自然なくらいに真っ黒――――――それはもう、ユキの瞳孔を思い出すくらいに透明度がある強い黒を持つ存在は、間違いなく、 "最低でも五年は帰ってこないと思う" ――――――とか何とか言いながら、 『印象、変わるねぇ』 斜め向かいに座る亜希の言葉に、俺は苦笑いをしつつ頷いた。 『ん。昔から金髪蒼眼の 『だよねえ。でも、西脇ちゃん恋しさに戻ってきたんでしょ? 『そ』 『彼女が大学卒業してそっちに入社したのが去年で、 『確かに、現地はかなり混乱したみたいだね』 『だよねぇ。で、それをフォローしていく 『ありがと』 あれはひと月ほど前。 前触れもなくマンションにやってきた、黒髪に黒い眼、そして伊達眼鏡という三つものアイテムをひっさげた親友を、 その思考が結論に達するまで、声も出さずにただ立って待っていてくれた 新生の 一蓮托生、親友の "あなた、友人を犠牲にしてまで次の我を通すつもりかしら?" という手段《おおなた》を振るってきた対応を見る限り、さすがに、ロランディの現会長である 『でも西脇ちゃん、まだ例の彼氏と続いてるんでしょ?』 『みたいだね』 『なんか不毛…』 心配そうに眉尻を下げた亜希は、その薄茶の髪の毛を掻きまわすように苦言を吐く。 『見てるだけ、なんて恋愛… 『まあ、それは…、ね』 だからと言って、他の女にも目を向けて見ろなんて助言をすれば、途端に つまり、 『西脇ちゃんと縁があるんだか無いんだか、良くわかんないね。――――――あ、ごめん 言い終わったタイミングで、スタッフに呼ばれて席を立った亜希に、俺は手を振る事で応える。 今回の会場となっているこのイタリアンレストランは、亜希が去年所有者となったお店だ。 モールの敷地内にあるレストランの割には、前オーナーがその優位性を活かせずにコンセプトを見失ったまま失策して潰す直前、シェフの料理を気に入っていた亜希が、実家の会社に専務として名を連ねる事を条件に経営戦略として入手したお店。 趣味と実益を兼ねる、なんて涼しい顔で言っていたけれど、実家はパチンコ店やファッションホテル経営が専門で、レストランノウハウは亜希が学生時代のバイトから培った独学の知識だけ。 初期費用《資産》があるから出来るのだと、若いオーナーとして上辺だけを見る人達は言うだろうけれど、あれだけ軌道から外れていたお店を立て直し、今では口コミからモールの集客にも一役買っている現状に、その実力を認めている飲食関係の経営者は多い。 本人曰く、ただただ、イタリアンが好きなだけだというのが成功の秘訣らしいけれど。 『―――――― 卑猥なロゴを模した白のTシャツと、その上から七分袖の濃いベージュのサマージャケット、ボトムにはインディゴのジーンズを穿いた 『三十分くらい?』 『いや、十五分でいい』 俺がスマホを取り出す間に、手に持っていた残り半分のシャンパンを一気に飲み干した 『 『わかってる』 スマホからリモートでVPN接続された自宅にある会社の端末にアクセス、スケジュールアプリを開いて予定を確認――――――と。 『…明後日の午後なら調整出来るよ』 『わかった。なら十六時に入れておいてくれ』 『了解』 再び、さっきまで立っていた輪の中に戻っていく 『十五分――――――、開発者の為人《ひととなり》を見るだけって事かな』 アプリの概要が気に入って紹介を受ける気になったのなら、 元々入っていた予定は念のため別の日に散らして、手帳に調整に必要な連絡作業を明日の俺のスケジュールにメモメモ…、 『こんなものかな』 更新をかけて接続を解除。 ロックをかけたスマホを内ポケットにしまって、目の前のノンアルコールビールを喉に流して一息。 この一息は、決して溜息ではなく、俺に与えられている仕事に対する緊張感の開放からくるもの。 俺、宮池 さて。 時系列でざっくりと、大学を卒業してからこれまでの経緯をまとめると、 まず卒業した春、 その頃はまだ統括部長だった佑《たすく》の直属として、システムオペレーション統括部の一員になる(その直属のシステムサポート、システムマネジメント、システムソリューション、システムアドバンスと、会社自体の枠組みを運用統括するための仕事を切り口の違う各部署で三カ月ずつ経験させられた。はっきり言って当時は、睡眠時間も削りに削ってかつてないほどに勉強して、 ――――――で、迎えた二度目の春。 人事部に駆り出されて入社式で西脇サヤを発見(彼女の名前が 腰が抜けるほど驚いたのに、何故か出世頭と言われている越智さんや皆藤さんと親し気で、食い気味に人事部の奴に尋ねれば、どうやら俺がシスオペの各部署を転々と研修している間、カスタマー部でインターンシップ生として制度に参加していたらしい。 カスタマー部所管のインハウスコールセンターは出入りが電子錠で制御されている隔離室で、下っ端の俺のICカードではあの部屋には入れない。 つまり、彼女が社食に出てこない限り、俺がその存在を把握する機会は無かったわけだけど、 "危なかった…" 色々拗らせた咲夜《狼》の前にご馳走の咲夜《餌》。 どんなに いやいや、結局入社してきたんだから、まだまだ歯車は止まっていないような気もするけれど。 どうせいつかはバレるんだと、せめて俺の口からちゃんと伝えておこうと考えたあの時の判断は、正解か不正解か―――――― …。 "辞令を言い渡す。四月からは "…はい?" 社長である伯父に呼ばれて、構えながら出向いた俺に開口一番でそう言われ、 ――――――ヒショ? 避暑、 秘所…、 秘書――――――だよね、やっぱり。 はい、わざとですよ、すみません。 "…俺――――――私が、ですか?" "ああ。土方の一員として佑《たすく》の右腕にする予定だと押してもみたが、ロランディの意向を曲げられなかった。すまん" "あ、…いえ" 伯父の謝罪がどこに原拠するものなのか。 後見人として引き取られた当時は無かった大人の思考と、今しか効果を得られない時薬で、それが甥っ子を友人に仕えさせるような辞令を下す現状を示しているのだと、今ではちゃんと理解出来る。 悪い人ではないと子供心の頃から知ってはいたけれど、その厚意の受け止め方が引き取られた十五歳の時よりも穏やかになったのは、一応は年を重ねて大人になったからだと思う。 " "そうか。ならいい" "はい" "…それから、この機会に行っておくが、私は別に、お前を政略結婚させようなんて狙いは毛頭ない" "……はい?" また突拍子もなく告げられて、反射的に首を傾げると、 "お前が、その、恋人を作らない理由を…家内が気にしていた。もしかしたらそういう誤解をしているのかも知れないと思って、だな" "ああ、そういう事ですか" 伯父夫婦の明後日の方向からの心配に、苦笑を返してから俺は告げる。 "この会社に入って、一年目も二年目も研修三昧。学生の頃のように時間はありませんよ。そして三年目も、残念ながら秘書一年生として多忙を極めそうなので、そういう話はしばらくは無いと思います。器用な方ではないので" "そう、か。ならいいんだ。わかっているなら、それでいい" "はい" 例えば同じ言葉を、日本に戻った高一の俺に言われても、同じように受け止められる事は無かっただろう。 時薬――――――。 そして回る運命の輪――――――。 その答えが出る前に、運命が動き出したのは俺の方が先だった。 |