小説:食べられる花


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Episode:資


 ――――――
 ――――

 『お、藤代ちゃんだ。いいねぇ〜、かぁわうぃねぇ〜』

 この会社で、咲夜さくやが自由に動くために発足された表向き名称はシステムサポートチームの一人、財津が、特盛カツカレーの乗ったトレイをテーブルに置きながら、声が届くか届かないか、そんな位置にある一団を見て小さく声を上げた。

 『え、どれ? オレまだ写真でしか見た事ない』

 さりげなく視線を廻したのは目黒さん。
 ちなみに、財津は俺や咲夜さくやと同じ年で、目黒さんは二つ上。

 『ほらこっから三列、向こうから二ぃ、四ぃ…七番目』
 『あ〜、なるほどね』

 秘匿的な話をする事に慣れているから、小声の会話でも籠もらずクリアだし、視線も常にフェイク発動。

 『…咲夜さくや咲夜さやちゃん見過ぎ』
 『…ぁぁ』

 …例外は、あるけれど。


 生姜焼きを箸の先でつつき始めた咲夜さくやを横目に見ながら、俺はそっと溜息を吐く。
 正直言って、社内チャットのステータスを確認しながら、そのタイミングで社食を使うようにしている咲夜さくやは、定義的に表せばストーカーに近い。

 役職を幾つか跨いでいる事もあって行動範囲の広い咲夜さくやが拠点をこの会社においたのは二年前。
 その間、遠距離恋愛中だという咲夜さやちゃんとその彼氏は、残念ながら期待から外れて未だ順調に続いているらしい。

 『やっぱり呪いは非現実か…』

 思い出した時にこっそり願う程度じゃあ効かないらしい。

 『こらこら、宮池君。そういう事は口にしない』
 『すみません』

 咲夜さくやを含む五名の中で、一番年長の真玉橋《まだんばし》さんに窘められ、俺は苦笑で会釈を返した。
 彼はロランディからの出向者で、実は一番、相手の男を呪っている人。
 口にしないだけ。

 勝利を得るために四方で画策するのは当然だと考えている戦略家だけど、咲夜さやちゃんの相手に行動を起こさないのは、万が一結婚に至った時に、ロランディに尻尾を掴まれないための最善の選択という事らしい。

 手段を講じれる分、咲夜さくやを取り巻く誰よりも歯痒さを感じている人でもある筈。


 『なるほどねぇ、あれが藤代さんか』

 感慨深く口にした真玉橋さんに、財津が体を揺らしながらウキウキと応える。

 『いいでしょいいでしょ? 腕の中に閉じ込めておけそうなかわゆさがあるよねぇ。けど夜はぁ、ぴょんぴょん跳ねてくれそうだし』

 ウサギか。

 『うーん、オレは来られても全力で遠慮したいタイプだな。我儘と甘えを混同してそうだし。上目使いで全部自分の言葉が通るって考えてそうだし。浅そうじゃない? そういう思慮がない子と付き合うと、四六時中子供の相手をしてるような気分になって疲れるだけなんだよね』
 『あはは、目黒っちは干渉されるの嫌いだかんねぇ』


 二人の会話に釣られて、俺もさりげなく顔を上げ、件《くだん》の藤代さんとやらを目にいれた。

 なるほど、確かに見た目は可愛い系。
 合コンでカードを多く手に入れるタイプだ。
 ただ、口を開くたびに首を傾げたり指先を頬に添えたり、口を尖らせたり、


 いちいちあざとい。

 そう思わせる印象がかなり強くて、――――――学生の頃なら、そう言われて女子からは好かれるタイプじゃなさそうだ。


 『けど、意外だったな…』

 目黒さんが、眉間を僅かに狭くして呟いた。

 『何が?』

 財津の反応に、目黒さんが肩を小さく上げて、微かに笑った。

 『うん…。ほら、人事部の堂元さん。あの絵に書いたような真面目な人が唯一起こした醜聞の要因。その原動力となった女だから、もっと色気のある男を手玉にとるようなタイプか、もしくは真剣に結婚を考える事が出来るタイプか――――――まさかあんな簡単《イージー》そうな女だとは思ってなかったからちょっと驚いた』
 『目黒っち、辛らつぅ』

 茶化すように肩を揺らしながら財津が言えば、真玉橋さんも頷いて目黒さんの意見に続く。

 『でも確かに。こうしてみる限りでは、会社で進退をかけていいと思えるほどに価値のありそうな女には見えないな』

 噂は女の専売特許ではなく、男同士でもこうして憶測は交わされる。
 もちろん、同調を強要したりすることはなく、あくまでこの場でのみ。
 あいつがこう言っていた、こいつはそう言っていたという拡散傾向がないのが、ロジカルな男の噂話だ。

 男女共に、例外がいる事も前提としてあるけれど。



 『――――――惚れた女の価値は、本人が分かっていれば十分だ』


 低い声で、そう紡いだのは咲夜さくや
 見ると咲夜さやちゃんは既に席を立っていて、どの辺りからなのか、会話を耳に入れていたらしい。



 『まあ、つまりはそういう事ですけどね』

 頷いた真玉橋さんの頬は、笑いを堪えているのか、ピクピクと動いている。
 俺と違って、さっさと咲夜さやちゃんを諦めるよう進言を続けている真玉橋さんは、その言葉の意味するところをよく知っている。

 本人だけが知っていればいい、その内容を、真玉橋さんにどれだけ引き出され続けているのか、訊くと不機嫌になるから、咲夜さくやにそれを確認しようとは思わないけど。


 それにしても、

 『堂元さんがねぇ…』


 このチームの秘匿特性上、人事との関係はかなり密だ。
 そのパイプ役となっているのが、こちら側は俺で、あっちは堂元さん。


 でも、

 『…堂元さんって、婚約者いなかったっけ?』

 いつだったか、そんな話を聞きかじったような気がして口にすれば、目黒さんが言った。


 『だから"醜聞"だと言っただろ? まあ、結婚しているわけじゃないし、社内恋愛は禁止でもない。怒鳴り込んだ堂元さんにお咎めが無かった結果には、実は藤代さんが上層部のお嬢様だからだとか、既に婚約は破棄されているとか、憶測はかなりあったけれど…』
 『社長賞、藤代さんがアレとった辺りで静かになったよねぇ。皆藤さんや越智さんが各部の上長以上に相当睨みを効かせたっぽいけど』

 出世頭と名高い二人の名前が出て、咲夜さくやが僅かに反応したのと同時に、俺も反射的に確認する。

 『皆藤さんって事は――――――藤代さんって、カスサポなんだ?』
 『うん、そうそう。でも藤代ちゃんの入社当時の配属は総務でさぁ、ロビーで受付やって評判良かったんだけど、その騒ぎで異動発令、がちょーん。他社の営業に何人か捕まったよ、オレ。彼女はどこいったんだって』
 『男が少ない部署に異動ってところが、堂元さんの狭量か、それとも要因排除か』
 『それも一時期騒がれてたけど、あのかわゆさじゃ、仕方ないよねぇ、うん。諸悪の根源でも許しちゃうよ、オレ』


 財津が唱える"可愛いは正義"については放置するとして、


 『それじゃあぁ、あたしは先に戻りますねぇ』

 高く、でも意外と耳に心地良い声で紡がれたその言葉は、目黒さんのいう印象がそのまま当てはまる感じで、


 『…社長賞とるくらいだから、仕事は出来るって事でしょ? 隔離先が適所になったんなら良かったんじゃない?』

 俺がそう言うと、真玉橋さんがクスリと笑う。


 『ま、話し方がどうでも、仕事が出来るって価値を結果で示せてるやつはうちにもいるしな』


 四人の視線を集めた財津が、一瞬だけ『?』という顔をして、


 『頼りにしてる』


 咲夜さくやの言葉に、


 『――――――、はあああッ!?』

 漸く意味を解して数分ほどヘソを曲げたのは、まったくの余談だ。




 ――――――
 ――――


 春の休日の真昼間。
 ここは、機材を設置したビジネス用会議室のバリエーションが豊富で、他社からもよく会議の指定を受けるシティホテルだ。

 『宮池さん、確認終わりました。オールクリアです』
 『ご苦労様です』
 『これから待機行動に移ります』
 『よろしくお願いします』

 見た目のスーツ姿はただ体を鍛えた普通のサラリーマンと窺える二人の男は、いつも通り仕事を終えるとさっさと近くの車へと戻っていく。
 その背中を見ながら真玉橋さんへスマホでコール。

 『――――――宮池です。チェック完了しました。クリアです』


 社外の会議室を利用する際には必ずその前後を予約で押さえ、盗聴器がないか、隠しカメラが設置されていないかを事前事後で確認する。
 どんな情報も瞬時にネットを通じて共有できる時代、過敏になりすぎる事は問題だけど、誰が相手でもリスクチェックのプロセスは省略変更共にしない、それがロランディ。
 彼ら二人はロランディから派遣されている咲夜さくやの担当で、その行動をトレースする事も当然、行く先々での安全確保を担っている。

 今日はこれから、このホテルで経済連の重鎮達と会食の予定。
 秘書に日曜はない。
 代休は必ずもぎ取るけど。


 "ご苦労様。咲夜さくや様のお車は、たった今ホテル前の大通りに入った。少し渋滞しているが、信号での停止を多めに見て…八分後の到着予定かな"
 『わかりました』

 通話が切れたスマホを内ポケットに戻して、ロビーとレストランの間を歩き進む。
 大きなガラスから外光を取り入れて爽やかなイメージで整えられたレストランはほぼ席が埋まっている状態だ。

 漂ってくるコーヒーの香りや、運ばれる食事の彩りが目に眩しい。


 ――――――あ。


 窓側の席に、見知った顔を見つけた。

 目にかかるくらいの漆黒の髪は、咲夜さくやとはまた違う光沢を持っていて、ジャケットの着こなしとか、質にこだわった靴とか、全体的に安定した雰囲気を裏切らないチョイスは、よく自分を知っているセンスだと思う。

 『堂元さん――――――、と…』

 あれは確か、

 『藤代さん…だよね?』

 疑問符がついたのは、食堂で見かける時と違って手の動きが最低限の所作だったからだ。
 堂元さんの長い言葉に適宜相槌を打って、視線を真っ直ぐに返し、

 『…へぇ――――――』

 このレストランの売りでもある、エディブルフラワーを食べた時の嬉しそうな顔は、ちょっと目を惹かれるものがあった。
 そんな藤代さんを見て、ゆったりと微笑みワインリストを手にした堂元さんは、なるほど、かなり彼女にご執心らしい。


 良い物を見たような気になったのは一瞬、


 『おっと、やばい』

 腕時計が真玉橋さんの告げていた時間に迫りつつあるのを見留めて、俺は早足でホテルの正面玄関へと歩き進んだ。





 一度存在を覚えてしまうと、そのシルエットが目に映れば"堂元さんの彼女だ"と認識してしまうのは、脳の処理能力の快挙、その反面、面倒なところか。

 『…ねぇたくみ? あなた最近、藤代さんの事、よく見てない?』

 社食の入り口で俺を待ち伏せていた水瀬いずみの、灯った疑いを隠さないあからさまな視線に、俺は特に何も考えず反射的に頷いていた。

 『うん。なんかちょっと、面白いなって』

 途端、持っていた箸をカラリと落として、

 『ちょ、ああああの子は駄目よ! 堂元さんを敵に回す気!?』

 一瞬で顔を強張らせたいずみの反応に、思わず笑ってしまう。

 『そういうんじゃないよ』
 『…ほんとに?』
 『ほんと』
 『ほんとに?』
 『ほんとだって』
 『…ならどうして彼女を見るのよ』
 『ん〜、なんて言うか…』


 ふわふわとした見た目の印象、定着したイメージでもある語尾延ばしの口調。

 首を傾げる。
 肩を揺らす。
 唇を尖らせる。
 指で髪の毛をくるくるしながら、愛想の良い笑顔、笑顔、また笑顔。

 誰にも見える表面だけの評価なら、その可愛さはレベルの高い方だけど、確かに俺も目黒さんの言葉に共感で、自分の人生に影響を与えられる存在としては対象にしにくいタイプだ。

 だけど、そんな談笑相手が先に席を立って一人になった後、その肩からフッと力が抜ける事に気づいたのはいつだったか。


 『ゴロゴロゴロゴロ、――――――プーン、…みたいな?』
 『…はぃ?』
 『みたいな』
 『…あなたが何言ってるのか、さっぱり分からないんだけど』


 眉間を狭めるいずみの懸念を他所に、俺の"藤代さん観察記"は食堂で出会う度に増えていく。


 『今日はカツカレー。しかも大盛り』

 一昨日は、サラダとトースト付きのナポリタンセットに、単品のハンバーグを付けていた。
 その前は、トッピング全部乗せのラーメンライス。
 焼肉定食の時、汁物を五十円アップで味噌汁からうどんにしていたのも見逃してはいない。

 談笑しながら丁寧に少しずつ淡々と食べ続けるから、女子にしてはかなりの大食いだと気付いている人は少ない気がする。

 と言うより、気づくほど彼女を観る前に、見た目と話し方でフィルターをかけられてるって事かな。



 明らかに、大多数は彼女にしてやられている。




 ――――――
 ――――

 『――――――たくみ、飯《メシ》』

 正午を過ぎたあたりから、少し落ち着きを失くしていた咲夜さくやが声を上げる。
 どうやら、咲夜さやちゃんの社内チャットのステータスが十五分以上動かないらしい。

 真面目な彼女はトイレ休憩も十分以内で帰ってくる。
 お昼時間前後で十五分以上ステータスが動かないという事は、食事休憩に入っている可能性が高いという事。

 そのタイミングで咲夜さくやがここに出社していた場合、それは一目だけでも咲夜さやちゃんを見る唯一のチャンスというわけだ。
 特に今日、昨夜遅くに一週間のアメリカ出張から帰ったばかりで、そろそろ咲夜さやちゃん不足に陥りそうになっていた咲夜さくやは、かなり必死だ。

 ここが発足したばかりの頃。
 果たしてこの行為はストーキングに抵触するのかどうかの議論が咲夜さくやの周囲各所でなされたが、

 "学生の頃、移動教室の時にはどこを通るとか、待ち伏せする女子とかいたでしょう? 大した事ではありませんよ。要は嫌悪感を持たれるかどうかであって、――――――咲夜さくや様は彼女に、"存在すら"知られていないわけですし"

 真玉橋さんの止めのようなその言葉で、すべては黙認して良しという事になった。


 なんだか、咲夜さくやが報われなさすぎて辛い。


 『あ、ちょっと待って咲夜さくや

 さっさと席を立って既に急ぎ足で歩き出していた咲夜さくやの後を追いかける。
 途中、デスクに積まれているアメリカ土産のゼリーが目に入って、食後のデザートにでもしようと手に取った。


 『行ってらっしゃい』
 『行ってら〜』

 PCに向かっていた財津と目黒さんの声を背中で聞きながらカード認証式のドアを抜ける。
 そこには幅のない廊下があって、左側はシステムサポート部本体の大部屋。
 同じ部署ではあるけれど、それぞれが社の基幹を担っている特性があり、各チーム毎に高いキャビネできっちり仕切られているから、俺達の出入りもあまり人の目に触れにくい。
 本当なら、オーナーのサクヤ・ロランディとして出社する時のために用意されていた部屋が社屋の最上階にあるけれど、黒咲夜《むろせさくや》ならこちらの方が都合がいいと、咲夜さくやの希望で備品室をセキュリティ面だけ改良したのが俺達が今いる部屋だ。



 『――――――良かった。いたね』


 社食に入った途端、咲夜さくやが足を止めて、ついでに息も止めたから、俺がその背中を押してやる。


 『行こ』


 まずは咲夜さやちゃんをさり気なく見る事が出来る席の確保から――――――と思ったのに、まだ時差ボケがあるからか、いつもより無防備に視線を向けている咲夜さくやに、ハラハラする。


 幾ら十三時を過ぎてて人が疎らだからって、誰に見られてるか――――――…、



 『――――――藤代さん? 今日は遅いね?』


 視線を巡らせて見つけた存在に、俺の方が浮かれてしまった。




 『あ、宮池さん、お疲れ様ですぅ』


 一度近くに座る機会があった時、軽い調子で声をかけたら彼女も愛想よく応えてくれて、それ以降、顔を合わせればこうして言葉を交わす間柄にはなっている。


 『ここ、いい?』
 『もちろんですよぉ』

 にっこりと言いながら、


 くく、内心かなり面倒臭いって思っているのが何となく伝わってくる。


 『でもあたしぃ、もうすぐ終わっちゃうんですぅ』

 残念そうに聞こえるけれど、目が爛々としてるから、まだまだ甘いなぁ。


 『大丈夫だよ。――――――咲夜さくや、こっち』


 ここからなら、咲夜さやちゃんの位置もばっちり見えるし。
 そう思って声をかけたのに、

 『オレは向こうでいい』

 咲夜さくやはそう言って、さっさと別の席に向かってしまった。
 どうやら咲夜さくやも、藤代さんを面倒臭いと位置付けたらしい。


 『なんだ、せっかく藤代さんを口説こうと思ったのにさぁ』



 今日のランチは味噌ラーメンか。
 やっぱりライス付き…って、傍の空いてる小皿…シューマイも食べたのか…。

 ずるずるずるずる。
 小気味いい音がリズムよく響く。

 あれ、思ったより食べるのに集中してる。

 俺を気にしていないか、――――――何か考え事している?


 『――――――アピールしたのに反応無いなぁ』
 『え?』

 言いながら顔を上げた藤代さんは、麺を口にくわえたままで、


 『…』


 ふと、俺に呼ばれた時、猫用煮干しを口にしたまま振り向いたユキを思い出した。

 ただ一心に俺を見て、煮干しと、俺とを、どうしようもなく天秤にかけていた可愛いユキを、――――――本当に久しぶりに、


 『――――――やだぁ、恥ずかしいんで、見ないでくださいぃ』
 『…』



 胸が、ざわつく。

 それは、ユキを思い出したからなのか。
 それとも、こうして彼女を目で追う俺の気持ちが、もう動いていたからなのか。


 でも、


 この子も人のもの――――――か…。



 『――――――参ったな…。俺、君を口説きたいな〜って宣言してるんだけど』
 『やだぁ、宮池さんったら、また調子良い事言ってぇ』


 ふわふわとしたいつもの笑顔で返しながら、けれど周囲を警戒している目の動きに、藤代さんの本質が垣間見える。


 『…そっか――――――』


 呟いたと同時に、チリリと胸を焼く感情に気が付いた。

 俺が何を探して藤代さんを見ていたのか、漸く自分の事を理解する。



 『残念ながら、結構本気』


 堂元さんから奪おうとか、そんな強硬手段は今のところ考えてはいないけれど、かといって全面的に気を遣うほど、義理があるわけでもない。

 婚約指輪も、それっぽいペアリングすらしていないなら、恋人がいないと勘違いをしてちょっかい出すくらいは、世間一般、普通にあるよね?

 別に堂元さんを敵視して略奪愛がしたいわけじゃないし。


 『はい』

 手に持っていたゼリーを、テーブルに置く。

 首を傾げて見せた藤代さんの浮かべた笑みは、やっぱり作り笑いのそれで、


 『エディブルフラワーだよ?』


 ゼリーの中に閉じ込めた、食べられる花では、


 『綺麗ですねぇ、これ、どうしたんですか?』


 あの、シティホテルで堂元さんに向けたような素の笑顔は、釣れなかったらしい。



 『なんだ。もっと可愛く喜んでくれるかと思ったのに…特別好きってわけでもないんだね』
 『…あのぉ?』


 さすがに、俺の言葉に謎がありすぎて、藤代さんも取り繕いを忘れて困惑に表情を歪めている。



 『まあいっか。少しずつ』


 慣らしていけば――――――。




 "堂元さんを敵に回すのは駄目。佑《たすく》が困った事にならからね!? わかった?"


 いずみから何度も言い聞かされた言葉がふと脳裏を過る。



 堂元克彦――――――か…。








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