小説:食べられる花


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Episode:資


 煌びやかなシャンデリアの照明が眩しい、ホテルの大ホールでのパーティ。
 さすが銀行家の主催するイベントだけあって、どこを見ても記憶に掠るような客がひしめき合っている。

 『さすが、咲夜さくやは慣れてるよねぇ…』

 遠目に見る限り、背後に控えた真玉橋さんの言葉に時々耳を傾けながら、次々とやってくる招待客と握手や挨拶を交わしている咲夜さくやは余裕綽々の表情。
 ちなみに、パーティに参加する時は大体がロランディの会長名代という立場を示す事が多いから、今の咲夜さくやは金髪蒼眼。
 この場合、俺の出番はほとんどない。

 というわけで、時々綺麗な女性に声をかけられながら、主人を待っているからとにっこり笑って躱しつつ壁のシミとなって会場を眺めていると、

 『たくみ
 『佑《たすく》――――――…じゃなくて、専務、いらしてたんですね』

 そこには、光沢でデザインのアクセントを入れた黒のタキシード姿の、いつもより一層王子様――――――(最近は年齢もあってか、貴公子的な表現をされる事が多いらしいけど)になった従兄の佑《たすく》がいて、

 『いいよ、今は業務中じゃないんだろう?』
 『…うーん』

 その線引きは難しいところ。
 このパーティ会場を出て咲夜さくやが黒髪に戻れば、俺はまた室瀬咲夜さくやの秘書として傍に立つ事になる。
 待機中と言われればそうだし、オフと言われればそうだし。

 『ところで、それ似合ってるね、さすが我が社の王子様』

 俺の襟元に手をやって黒タイの傾きを調整してくれたらしい佑《たすく》の言葉に反論を返す。

 『佑《たすく》程じゃないよ』

 一般社員が実際に佑《たすく》を目にする機会は少ない筈なのに、"優しそうな王子様"という異名は既に女子社員の間では知れ渡っている。

 『でしょ? 俺も自分で見て泣けてきたよ。いい男過ぎて』
 『いずみに写真でも送る?』
 『いいよ、準備した時に一緒だったし』
 『へえ?』
 『それより、話し込んでる振りして少しここに匿ってくれ。どこに顔を出しても二言目には売り込みがきてホントもううんざり。――――――君』

 手をあげて、通りかかったウェイターを呼び止めたたくみが彼の持つトレイから手に取ったのはフルートグラス二杯。

 『佑《たすく》?』
 『別に止められてないだろう?』
 『…まあ、飲み食いは自由だって言われてるけど…』

 流れるように一つを手渡された後、『乾杯』と軽くぶつけられる。
 賑やかさすら通り抜ける高い音が響き、琥珀色の中に上り立つ細かい泡は、確かに喉の渇きを覚えさせた。

 『乾杯…――――――あ』

 飲んでみれば口当たりのいい味、広がってくるフルーツの香り。
 亜希の店で飲んだ事がある銘柄かも知れない。
 ブルゴーニュ産のやつ。

 『美味《うま》い』

 俺の一言に、佑《たすく》の口元がほんの少しあがった。
 佑《たすく》のこういう表情は、昔から俺を存分に戸惑わせる。

 『…――――――売り込みって?』

 何か話題を繋げようと話を振れば、佑《たすく》がほとんど反射的に眉尻を下げた。

 『縁談だよ。一応オレも、社交界では狙い目の独身男性なわけ。だから娘とか姪っ子とか、たまに秘書とか、薦めてくる人多いんだよね。ここ数年は親父の代わりに名前が出歩く機会も増えたし。――――――咲夜さくやさんも、さっきからかなり引き合わされてるよ、ほらまた』

 顎で示されて視線を向ければ、確かに、挨拶を交わした本人よりも、横に連れた娘くらいの年齢の女性を咲夜さくやの前へ前へと押し出している。

 『…なるほど』
 『ま、彼がそんな出会いで心を揺らされるなら、もうとっくに運命は廻っていた筈だけどね』

 呆れ半分、感心半分。
 それが佑《たすく》の、咲夜さくやに対する咲夜さやちゃんへの想いへの評価。

 『うちの会社って敷地は大きいとは思うけど、中はそんなに広くないよね? 半径百メートル範囲には物理的に入ってくる筈なんだけど、なんであんなに進展しないの? 咲夜さくやさんってぐいぐい行きそうに見えるのに』
 『そこは色々ありまして。咲夜さくやの希望通り、ヘタに手は出さないように頼みますよ』
 『分かってる。――――――ところで、いずみの周りは大丈夫?』

 けれど俺から見れば、咲夜さくやの恋をどうこう言う佑《たすく》の方も、実はかなり拗らせている系だけど。

 『ほんとはそれが聞きたかったんだ?』

 鼻で笑うように俺が問えば、佑《たすく》は躊躇せずに口を開いた。

 『当たり前だ。俺が不在の間に変な男にでもちょっかい出されたら、マジで怒り狂うよ』
 『そう思うなら、さっさと恋人宣言でもして牽制するか、何なら結婚しちゃえばいいのに。そうすればパートナー同伴でこんなとこに避難しなくても済むんじゃない?』
 『…いずみが仕事続けたいって言うんだから仕方ない』
 『結婚しても続ければいいんじゃないの?』
 『…専務の奥さんと、普通に仕事出来る心臓持った奴が、ほとんどが男だけの企画部に、どれだけいると思う?』
 『…だね、ごめん』

 担当同士意見を出し合って、企画をゴールまで研ぎ澄ませていく部署だ。
 自分の進退に関る男を夫に持つ同僚を、態度を変えずに同等の仕事仲間として扱い続けられる度量の大きい奴が何人いるか。

 『傷つくのはいずみだから、俺が決めたくはない。俺は、いずみが選択するのを待つだけだよ』
 『ふうん…』

 ふと会話が途切れ、お互いに喉を見せてスパークリングワインを口に含む。

 飲み始めると、もう少し欲しくなるのがアルコール。
 帰りは亜希の店にでも顔を出そうかと考えた時、



 『――――――専務』


 第三者が佑《たすく》を呼んだ。


 見れば、そこにはしっとりとした黒髪を珍しく後ろに撫でつけた、これまたタキシード姿の男がいて、


 『宮池さんも――――――お疲れ様です』

 愛想笑いを浮かべながら会釈をされれば、俺も背筋を正して会釈を返す。


 『お疲れ様です。――――――堂元さん』




 "雰囲気イケメン"という言葉があって、例えば友人の巽が俺の知るソレの代表格。
 大学の時、俺や亜希と違って、一途そうで清楚そうで真面目っぽい女子に何度も告白をされていた巽は、はっきり言って顔の造りはかなり普通。

 でも、当時の恋人(今は奥さん)の夏芽の奔放さを広い心で受け止めてフォローする穏やかな言動とか、身だしなみの綺麗な雰囲気が好印象で、亜希曰く、噛めば噛むほど味が出る大人男子。
 女子だけじゃなく、男子にもよく慕われていた。

 人事部の出世頭《ホープ》と名高い堂元さんは、タイプで言うと巽に近い。

 まあ、人を従わせる指導力や率先力が仕事の仕方で現れているところが、どこまでも優しい巽とは違っていて、あとは――――――堂元さん独特のストイックなオーラというか、そういうのが滲み出る事で醸し出される色気は、敢えて比べるまでもない。


 『そろそろ失礼しますので、ご挨拶をと――――――』
 『なんだ、もう帰るのか?』
 『今日は補佐もいますし、私は頭取と関係者への挨拶のみという事でご了承いただいてのお供でしたので』
 『そうか。――――――たくみ、堂元とはパイプあるんだったか?』

 急に話を振られたものの、俺は慌てずに頷いて見せる。

 『はい。堂元さんとはオーナー案件で少し』
 『ああ――――――そうだったな』

 佑《たすく》から何気なく視線を巡らせれば、目が合った堂元さんが少し驚いたような表情をしていたのは、恐らく専務《たすく》が俺の名前を呼んだからだろう。
 それに気づいた佑《たすく》は揚々と告げた。

 『別に隠してるわけじゃないが、こいつは父方の従弟なんだ。出来ればお前と一緒に来たる俺の陣営を固めてもらいたかったけど、残念ながらロランディに横取りされた人材』

 良く言う…。

 『彼の冗談ですよ、堂元さん。僕が早くに両親を亡くしてずっと一人で暮らしていたので、まだ面倒を見ている気でいるだけです。あわよくば、小間使いにしようって腹積もりくらいですかね』
 『酷いな』

 俺の肩を叩きながら、目を細めて楽しそうに笑う佑《たすく》は、いつもの外面と全然違う。

 『仲がよろしいんですね』
 『こいつはどうか知らないが、俺は可愛がっているつもりだよ、とてもね』
 『…どうも』

 こういう佑《たすく》も、なんとなく見ていられないのは昔からだ。
 視線をうろつかせてグラスを煽れば、空になっていた事を思い出す。
 ウェイターが歩いていないかと首を巡らせれば、


 『――――――なるほど…』


 耳に届いたのは堂元さんの呟きだった。

 『専務のお気持ちが分かったような気がします』
 『そうだろう!? さすが堂元。お前なら絶対にそう言ってくれると思ってたよ』

 佑《たすく》の言葉に、小さな笑いを口元において伏せた眼差しは、睫毛の影が落ちて妙に憂いがある。

 『…親愛がうまく伝わらないのは、血の繋がりがある分、とても歯痒く感じますから』
 『そう! そうなんだよ!』
 『…やめてください、佑《たすく》兄さん。ほら、堂元さんも忙しいんだからそんな話で引き止めない方がいいと思いますよ』

 "兄さん"と呼ぶ"飴"を添えながら、帰りの挨拶に来ていた筈の堂元さんを促してみたけれど、佑《たすく》は見るからに上機嫌で、堂元さんを放す気はないらしい。

 『藤代さん…だったかな? 皆藤さんが褒めてたよ。仕事の吸収が素直だから展望があるって』
 『ありがとうございます。充実していると本人も言っていたので、私も安心したところです』
 『俺も仲介した甲斐があったよ』


 交わされる会話に内心はかなり驚いていたけれど、どうにか表情には出していない筈だ。

 目黒さんの言っていた、堂元さんの"醜聞"に関わる後始末的な事に、まさか佑《たすく》が関わっていたとか――――――。


 『となると、そろそろ堂元も、結婚――――――かな?』
 『はい。秋に予定しています』

 話しの流れで口を突いた、特に深い意味のない問いだったんだと思う。
 きっぱりと肯定した堂元さんに、さすがの佑《たすく》も一瞬だけ目を瞠っていた。

 『ぅおお? そうなのか!? おめでとう! もちろん、俺にも招待状は送れよ』
 『ありがとうございます』


 …ふうん?

 醜聞は、ちゃんとハッピーエンドになる予定、――――――か。


 麺をくわえた藤代さんの、ユキに似た雰囲気《かんじ》が俺の胸を過る。
 それと対比するかのように、あのシティホテルで堂元さんに見せていた藤代さんの表情も思い出した。


 "ゴロゴロゴロゴロ――――――ぷーん"


 社食で、俺を含めた周囲の奴らに見せる愛想良い表情が"ぷーん"で、
 堂元さんに向けていた、愛想良くせずにただ自然に笑っていた素の感じが、"ゴロゴロ"。


 少し残念な気はするけれど、たくさんの生徒達が過ぎて行った筈の小さな世界で出会ったユキが、俺だけに見せてくれた甘えのモード。
 もしも、藤代さんが堂元さんに向ける笑顔がそれと同じ意味を持つものなら、こんな好奇心のような軽い気持ちでちょっかい出していい筈はない。


 『――――――僕からも、おめでとうございます』


 そう伝えると、

 『ありがとうございます』

 堂元さんは少し頬を緩めて頷いて、


 『今度ぜひ、社内恋愛のコツを教えてくださいね』


 調子に乗って続ければ、途端に、堂元さんの顔から表情が消えた。





 ――――――あれ?


 なんか地雷踏んだ?


 この辺の体感温度が急に下がった感じがするけど――――――…、


 いや、でもさ、


 『ぇっと…』


 結婚まで行くカップルを前にしたら、祝福しながらそれにあやかろうって話、普通言うよね、流れ的に。

 俺の言葉に大した中身がない事は認めるけど、そこまで何かを踏み抜くような失言があったとは思えない。


 俺は悪くないはず、


 なんだけど…、



 ――――――何を考えているのか、全く読めない堂元さんに正面から視線で射抜かれて、どうにも二の句が紡げない。



 『堂元、お前の婚約者…こずえさんだっけ?』
 『…ええ』


 こずえ――――――。

 藤代さんって、下の名前こずえって言うのか。


 こずえ…梢かな?

 潔さ、命、その芽吹き――――――か。

 俺が藤代さんに持っていたイメージの"強さ"とは、少し違っていたかも。
 藤代さんはもっとこう――――――…、


 『彼女、社外の子だったよね?』
 『ええ』


 ――――――え?



 『ゃ、だって藤代さ――――――』


 俺がその名前を出した瞬間、堂元さんの目が大きく見開かれた。

 そして、


 『――――――ユキ?』

 突き刺さりそうな程の警戒心を眼力に込めた堂元さんの唇が、その二文字を刻んだ瞬間、


 ユキ…?

 ユキって、


 『どうして堂元さんが、ユキの事を――――――?』


 俺の思考の、正常な部分は見事に吹っ飛んだ。

 視界の隅で顎に指をあてながら何か考えるような仕草をしている佑《たすく》が、さては堂元さんとの酒の肴にしたんだろうとか、それとも、出身大学は隣なわけだから、ユキを連れ歩く俺を知っていたか、それを知る他の伝手で知り得たのか、

 けれどなぜこのタイミングでユキの話?


 『…宮池さん、ユキとは、いつから…?』

 いつから?

 『いつ…って、学生のと――――――』
 『学生?』

 じっくりと攻めるタイプの堂元さんが、人の言葉を遮るなんて珍しい。

 『…それは、知らなかったな』

 神妙な表情で俯いた堂元さんに、俺は戸惑いばかりだ。


 『知らなかったって…』


 それなら、


 『どうして堂元さんがユキの話を?』
 『ぃや、ユキの話を始めたのは君で――――――』
 『俺?』

 お互いに思考を口にすればするほど迷走していく。
 こんなに先の見えない会話なんて初めてだ。


 『別に、俺はただ、堂元さんに藤代さんとの社内恋愛のコツを教えてくださいって言っただけで――――――』
 『は?』

 今までで一番の皺が、堂元さんの眉間に深く刻まれて、


 参ったな――――――、これ、地雷再びだ。

 少し前の、振り出しに戻った既視感《デ・ジャ・ヴュ》。


 問題点が何かを求めるよりも、面倒臭そうな現状からどうやって逃れようか思案が走りかけた時、




 『――――――ああ、思い出したよ、藤代ユキ。確かそうだったよね? お前の従妹』




 ――――――え?



 藤代、



 『ユキ――――――?』








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