『偶然だね、藤代さん』 目の前の、セルフで盛りつけたにしては綺麗な配色で整っているオードブルディッシュと、出来立てのメインのオムレツを幸せそうに見つめていた藤代さんの表情が、俺の声にスッと色を変えた。 冷めた方へ。 『――――――宮池さん、わぁ、偶然ですねぇ』 "わあ"が、きっと心の声だと"うわあ"なんだろうとは、疑いようもない。 『藤代さんも良く来るの? 俺も良く飲みに来るよ。オーナーが大学の時の友人でさ』 必死に笑顔を取り繕っているけれど、ぴくぴくと反応している頬の動きが、何だかユキがヒゲを動かしている仕草と重なった。 やばい。 気持ちを開放してもいいって気になったら、何もかもが色づいて目に映る。 むっちゃ可愛い。 『そうなんですねぇ、ぇっとぉ…、宮池さん、今日はどなたかとランチですかぁ? あぁ! もしかしてぇ、おデートですねぇ?』 『いや、今日は一人。いつもは大学の奴らと集まるのがほとんどかな』 言いながら、藤代さんの向かいの席の椅子を引けば、何してんのって目を見開く藤代さんも、なんかこう、頭を両手でこねくり回したいくらい可愛い。 『中に個室があってね。大体そこ』 『へ、へぇ…個室なんて凄いですねぇ』 『でも、そのせいで藤代さんとこうして巡り会うのを逃していたんなら、損してたなぁ』 頬杖をついて、少し斜め目線で見つめれば、クラブで出会った女の子ならほいほいホテルまでついてきてくれていたこの技にも、 『やだぁ、宮池さんったらぁ、もしかしてぇ、会社の女の子に外で会う度にそんなリップサービスしてるんですかぁ? ダメですよぉ。宮池さんはみんなの王子様なんですからぁ』 目の奥に光が据わってる。 何言ってんだこいつ感が満載に伝わってくる。 『――――――まさか』 言葉を切れば、それに釣られて首を傾げた藤代さんの、ふわふわの髪がくるんと肩の上で揺れた。 柔らかそう。 指に絡めたらどんな感じがするんだろう。 『藤代さんだから――――――仕掛けてるよ?』 テーブルの直系の小ささに感謝。 腕を伸ばせば、挙動を訝しんだのか、藤代さんの目が俺の手に釣られて動いている。 『あ、思った通りの感触。柔らかいね、髪』 猫っ毛ってこういうのを称《い》うのかな? 指先でくるんと巻いた髪を弾けさせれば、 『宮池さん…』 困ったような藤代さんの反応が見ていて楽しくなる。 『ごめんね、急に触ったりして。でも凄く気持ち良さそうだったから』 『…あのぉ、そろそろ…、は…恥ずかしいですからぁ』 くるくる、ぽん。 くるくる、ぽん。 『ぇっと…宮池、さん…』 『藤代さんの髪、気持ち良い――――――』 思わず口にすれば、藤代さんの白い肌が、一気に桃色に染まった。 そして、 『――――――藤代さん?』 まるで魅入られたように、俺の手から目を離さない。 手首から爪の先まで、文字通り舐めるように見つめていて――――――、 その美しい指に、あたしの髪の毛がくるくると絡んで――――――、 もしかして、 藤代さんって、手フェチ? そして俺の手の形が――――――、 『好き…?』 だったりする? 心での問いかけが中途半端に言葉になってしまい、 『好き』 応えた藤代さんのはにかんだ笑みは、あのエディブルフラワーの時と通じるものがあって、 あ、やばい…。 そう考えた時にはもう遅かった。 『じゃあ、付き合おうか――――――?』 信じられない。 ついさっき、亜希と話した時点では、自分が好きになる分なら許容できる事態だと、そう飲み込んだばかりだったのに、その舌の根も乾かない内に、こんな気持ち…、 『ね、付き合う?』 ああ、でも、 狼狽えるこの藤代さんは、"ぷーん"の方じゃない。 きっと堂元さんが知っている、"ゴロゴロ"に近い方の藤代さんだ。 俺が知りたかった、部分の――――――、 『付き合いません!』 『なんで? 今藤代さん、好きって言ってくれたのに?』 俺の方は、技として培った甘えモード。 お誘いを断る時なんかに利用してきたこの顔を、こんな風に使う日がくるなんて、 『えっと、それは』 必死に断る理由を探す藤代さんの目は、忙しなくあちらこちらへと動いている。 でも俺が手を動かすと、猫じゃらしに釣られるかのように、その澄んだ瞳孔はちゃんと追いかけてきて、 『だ…』 ゴクリと、意を決して唾を呑み込んだところも、なんか一生懸命でいじらしい。 『だってぇ、宮池さんは我が社の王子様ですからぁ。嫌いだって言う人なんかいませんよぉ』 『それなら、君だけの王子様になりたいって俺が言ったら?』 ざわりと、聞き耳を立てていた周りの空気が揺れたような気がした。 『ぁ…あの』 困惑を極めた――――――見方を変えれば、もしかしたら怒りだしてしまうかもしれない、そんな一線の前に来た時だ。 『それくらいにしておけよ、 まさしく、"愉快そう"な表情《かお》をしてやってきたのは遠くからこちらの様子を見守っていた筈の亜希で、 『あ〜あ、オムレツ冷めちゃったね。彼女だけじゃなくて、うちのシェフも泣いちゃうよ』 言いながら、藤代さんの目の前からオムレツの皿を取り上げる。 『えッ!?』 悲鳴に近い声を上げた藤代さんににっこりと返して、亜希は言った。 『楽しい食事の邪魔をしたこいつの代わりにお詫び。オレからハーブハンバーグをプレゼントさせて? 今日のメニューに入ってなかったから、来た時にがっかりしてたでしょ?』 『亜希…』 …それ、ずっと見てた事がバレる台詞《やつ》…。 『ディナー用だからサイズはちょっと大きくなるけど大丈夫?』 『全然平気です!』 しかも、なんかあり得ないくらい自然に話してるし。 『…亜希、勝手に会話に入って来るな』 さっきまでとは全然違う藤代さんの態度と、そしてそれを引き出した亜希に正直言って面白くない。 『いやいや、お前の押しに明らかに引いてたから、彼女。オレ多分救世主だって』 え? 何気なく藤代さんの様子を窺うと、亜希に向けられているのは、キラキラした素直な眼差し。 こんな顔もするんだと、二人のやり取りをぼんやりと眺めていると、 『――――――っと、業者が来たみたい。 アラームの音に促されて亜希がそう言った。 『…うるさい』 『はいはい。雪ちゃんもゆっくり食べてってね』 "雪ちゃん" 亜希、お前――――――、 手に隠れて睨みつけてやると、亜希が僅かにしまったという顔をした。 『あ…はい、ありがとう、ございました…?』 案の定、自己紹介もないまま自分の名前が呼ばれた事に不信感を覚えたらしい。 そしてこの場合、疑いが向くのは当然、俺に対してで、 『――――――そのしゃべり方が、素なんだね。藤代さん』 苦し紛れの一言は、どうやら次の動向を封じるのには功を奏したらしい。 大きく見開かれた目は、真っ直ぐに俺を見つめていて、反射的に何かを口ずさもうとした唇は、僅かに動いた後、停止した。 雰囲気が、――――――変わる。 『ええ? 何のことですかぁ?』 特別な時間が、まるで割れた風船のように失われた感覚。 残るのは、縋るには小さすぎる会話の名残だけ。 『俺も…』 深呼吸をして、顔を上げた。 『そろそろ行こうかな。お邪魔しました』 『ぇ?』 強引だった割に、あっけない幕引きに意表を突かれたのか、藤代さんがまた素の顔になる。 ああ、俺は――――――、 自分が思っている以上に彼女を見ていたんだと、腑に落ちた。 猫を被っている時と、素に戻っている時と、その言葉遣いではなく、纏っている空気で、 ――――――俺は確実に、藤代さんを見分ける事が出来ている。 『これを機に、藤代さんともっと仲良くなれると嬉しいな』 『…ぇっと、ぅ、嬉しいですぅ、はい…』 ちっとも嬉しくなさそうに言う藤代さんは、ある意味、俺だけの特別だ。 『それじゃあね』 後ろ髪を引かれる思いを振り切るようにさっさと店内に戻ると、ニヤニヤと顔を緩ませる亜希がいて、 『どうだった? 雪ちゃん』 『お前な…』 『いいじゃんいいじゃーん、 そんな亜希の様子から、自分がどれだけ浮かれた感じで映っていたのかが予想出来る。 『 『…ったく』 ため息を吐けば、それに呼応するように亜希は笑った。 『 言われて、ドクリと全身が固まる。 『見てて分かったよ。話せば話すほど、雪ちゃんの方へ前のめりになってったし』 『…』 浮かれた自覚があるだけ、気恥ずかしさが湧いてきた。 それと同時に、怖さもある。 『 本音を晒せと、追い詰めてくる親友に、 『何か…彼女の前だと、うまく制御できないみたいだ』 観念して、自分が直面している問題点を漏らしてみた。 『うん。それもわかった。最初は女の子と遊ぶ時の 言われて思い返せば、確かに、何も見えていなかった。 藤代さんの表情、仕草、身振り手振り、声のトーン。 吸い込まれるように、それが俺の思考の全部になって――――――、 視野が狭くなる、それ以前。 俺の中に彼女しかいなくなる。 『気を、つける――――――』 煮詰まった先で、どうにか絞り出した俺の答えに、 『…まあ、気持ちにブレーキをかける事で 亜希はそう言って、眉根を寄せながら苦笑した。 |