小説:食べられる花


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Episode:資


 『想いを殺し続けるのならさ、何も得られない今よりも、もっと近くに行って、挨拶し合ったり、声をかけてもらったり』


 奈落に沈むマイナスから、ゼロに戻す分くらいの要素は貰ってもいいんじゃないかって、そう思うんだよね。
 それに、近くなればなるほど、咲夜さやちゃんの近況は獲得しやすい。

 例え咲夜さやちゃんが心変わりしたという結果になっても、咲夜さくやにとっては、向こうが転がり込んできたという事実があれば、建前は頑丈に出来上がるわけで…。


 "イケメンが熱を持って誰かを見つめる事自体が既にちょっかいって気がするじゃないですかぁ"

 前に、雪に言われた批判が蘇る。


 "結局それって、ただ室瀬さんが良い人ぶって逃げてるだけの話じゃない? しかも自分に対して"

 納得出来る言葉だった。

 誰かの幸せを壊すような愛し方はしないというロランディの教訓の前に、咲夜さくやは怯んでいる。
 それをやってしまった後、もし一族の繁栄に陰りが出れば、責められるのは咲夜さやちゃんの存在、その馴れ初め。

 "惚れた女を、一族の"そういう目に晒す"という意味で"

 咲夜さくやなら、晒さずに隠しておく方法なんて、幾らでもあるんじゃないかと考え至ってしまう。

 少なくとも、距離を縮める事が出来たなら、かなり有意義に動くんじゃないかとそう思えた。


 『今をベースに考えるとさ、そういう関係性も、一つの形だと思うよ?』
 『…』
 『もちろん、咲夜さくやにはかなり負担がかかるだろうけどさ』

 咲夜さやちゃんとあの男の関係がまったく俺の予想と違っていたのなら、自分以外の男の手で幸せになっていく好きな人を見続けなくちゃならないわけだし。

 『…たくみ、なんていうか…』

 何かを考えるように、咲夜さくやの拳が口元に当てられ、

 『――――――ほんと、マゾだな、お前』
 『え?』

 声が籠もって、ただでさえ低めの声が上手く聞き取れなかった。

 『ごめん、咲夜さくや。何か言った?』
 『いや』

 遮るように手を上げて、咲夜さくやが目を細める。

 『そうだな。しばらく考えてみるよ。ちょうど明後日からイタリアだしな』
 『あ、そう言えばそっか…』

 年度末が近づくほど、スケジュールはロランディ中心に色がついて、最近の俺は真玉橋さんの采配で動くだけで、あとはマリアンさんのチームに任せっきり。
 咲夜さくや本人と関わらなくても渡航についてはしっかり把握していないといけなかったのに、ちょっとネジが緩んでたみたいだ。
 反省。

 『確か十日くらいの予定だっけ?』
 『ああ』
 『久しぶりに一家揃う日があるって話だっけ』
 『それどころじゃない。一族全員だ』
 『盛大そう。土産の手配は不要だって真玉橋さんが言ってたけど、ほんとにいいの?』
 『問題ない。その辺りはマリーがやってくれてる』
 『マリー?』

 思わず聞き返した俺に、咲夜さくやが『ああ』と頷きかけて、それから気づいたように訂正した。

 『マリアンだ。チーフやってる。面識はあるだろう?』
 『…うん。挨拶程度しか交わしたことないけど』

 珍しい。
 咲夜さくやが血筋以外の女の子を愛称で呼ぶなんて…。

 『そっか。マリアンさんならセンス良さそうだし、確かに出る幕はないかもね』
 『オレの家族とも面識があるからな。任せておいて大丈夫だ』

 あれ?

 『――――――へえ、そうなんだ』

 元カノって読みは、もしかして当たっていたのかも。

 『気になるなら土産のリストを送らせようか?』
 『そうだね。次回の勉強にもなるし、ぜひよろしく伝えて』
 『わかった』


 …咲夜さやちゃんの事は、もしかして余計なお世話だった…?



 『――――――忙殺されていれば』


 ちょっと居た堪れない気持ちになったのを見計られたかのように、咲夜さくやが小さく口を開いた。

 『思い出さない時もあるんだ。咲夜さやの事――――――』
 『咲夜さくや…』
 『この機会に、少し考えてみる』
 『…』

 咲夜さくやの微か過ぎる笑みに、ほんの少し自己嫌悪が湧いてきた。

 『そんな顔するな』

 肩を叩いてきた咲夜さくやのさっきとは違う少し吹っ切れたような表情に、俺も切り替える。
 気を遣ってくれた咲夜さくやに対して、今出来るのはそれくらいだ。

 満たされた俺が、思い付きで言うべき言葉じゃなかったかもしれないなんて、驕りもいいところ。
 思うところがあるのなら、咲夜さくやは反論してきたはずだ。
 こうして受け止めてくれた事で、お節介は終わりにしよう。


 『二人ともいらっしゃーい。ちゃんと飲み始めてる?』

 焦げ茶色の、飲み口まで溢れた白い泡を見る限りビールと思われる液体がなみなみと注がれた大きめのビアグラスを三つ手に持った亜希が、一瞬で空気を塗り替えてくれた。

 『亜希、お前、もう酔ってるな?』
 『はは、少しだけだって。はい、たくみ。お祝いお祝い』
 『え?』

 押し付けるように俺と咲夜さくやにビールを渡した亜希は栗色の目をきらきらと輝かせた。

 『今日連れてきたって事は、オレ達にお披露目って事でしょ? って事は、これからよろしくって事でしょ? つまり、お嫁さんにする予定ですって事でしょ?』
 『そうらしい』
 『ちょ、咲夜さくや
 『そのつもりなんだろう?』
 『そうだけど、――――――亜希も、まだ本人にちゃんと言ってないんだから、あんま大きな声で騒がないでよ』
 『くうううう、わかったわかった。小さな声でね』

 三人で、グラスの縁を触れ合わせる。

 『ラブラブおめでとう、たくみ


 …掠れそうなほど小さすぎたその声に、俺も咲夜さくやも苦笑いを一つ。
 飲みなれない黒ビールを素直に祝福として受けとって、喉を見せた二人に続いて一気に飲み干した。





 久々に顔を合わせた友人達への挨拶が一通り済んだところで、俺はオアシスがテーマになっている店内へと、雪の手を引いて入り込んだ。
 外にセッティングされた酒のツマミ系とは違って、バイキング式で食事がとれるようになっている。

 大きなお皿に、次から次へと好きなものを乗せていく雪の手首では、俺とお揃いのブレスレットが僅かに光を反射させていた。

 きっと雪は知っている。
 ブレスレットには、手錠という意味がある事を。

 縛り付けたいと、そんな俺の願いに、気づいている筈だ。
 結構頑張って控え目にしてはいるつもりだから、実感しているかどうかは、別として。


 『こっちで食べよ。向こうに行ったら話しかけられてゆっくり食べられないよ、きっと』
 『あ〜、うん。確かに』


 少し手狭に感じるテーブルに導いて、正面の近い位置に雪をセット。


 『いただきまぁす』

 大好物だというハーブハンバーグから一目散に頬張るあたり、素直な雪らしくて可愛い。

 『美味ひいぃぃ』

 幸せそうに体を左右に揺らす雪の喉がごくりと上下したタイミングで、

 『柔らかくて美味しいよ、雪』
 『え?』
 『あ〜ん』

 にっこりと声を高めにして言えば、ぷっくりとした唇が開いて舌の先が見える。

 こっちも、柔らかそうで美味しそう。
 キスしたくなる衝動を理性でどうにか抑え込んで、

 『――――――柔らかいでしょ?』

 俺の確認に、雪はコクコクと頷いた。

 『サラダも食べる? はい、プチトマト』

 お箸の先でトマトを挟んで、雪の口へ。

 『…ぅ』

 変な声が出たのは、トマトの緑の味が口内に染みたからだと思う。

 『取ってあげるね?』
 『…』


 近づけていく俺の手に、雪の目線は釘付け。
 撫でるように唇に触れて、トマトを目指す振りで口内の温度を指先で探る。

 『潰さないでね』


 雪の目が、少し潤んできた。
 これは感じている証拠。

 ベッドの中と同じ表情《かお》。


 取れたヘタを皿に落として、濡れた指先をぺろりと舐めれば、雪の顔はますます赤くなった。


 『…変態』

 口を尖らせて言った雪は可愛いけれど、


 『ダメだよ、雪。悪影響』

 うっすらと見えた元子ちゃんの爪痕に、イラつく亜希の気持ちが理解できたかも。

 『元子さんの事、知らなくても出ましたよぉ、この単語は』

 照れ隠しなのか、ツンとした態度でそう言った雪は、妙に加虐心をそそってくる。

 『これで変態なら、家で俺達がやってる事《・》って、何でしょう?』
 『ぅ』
 『雪、それ、俺にもちょうだい』

 あ、と口を開けてしばらく待てば、全力で持ち上げたらしいフォークが、ようやくハンバーグを俺に齎してくれた。


 『ん、ンまい。さっすが、安定の、ハンバーグ。じゃあね、今度は――――――雪、オムレツ食べる?』
 『…』

 まあ、答えを求めているわけじゃなくて。

 『はい、あーん。…美味しい? 雪』
 『ん、美味ひ』

 ほんとに、


 『――――――そういう素直なトコ、ほんと可愛いねぇ、雪は』
 『…それはどうも』

 ちょっと素っ気ない振りをするその仕草も、防御の技なのだと知っているから、


 『俺ねぇ、雪といる時間がすごく好き』

 唐突に切り出した俺に、雪の目が何度か瞬いた。

 『こうして楽しくご飯食べるのも、家でゴロゴロしてて、呼んだら雪が返事してくれるとか、そういうのも、すごく大事』

 テーブルの上に乗っていた手の指先をそっと握れば、

 『…うん』

 俺に応えるように、雪からも優しい力加減が伝わってくる。

 『あたしも…そういうの、は、好き』
 『うん、俺も、好き』


 指を絡めて、
 時々逃げ出しそうに揺れる視線も絡めとって、



 『雪と、結婚したい』


 しっかりと刻むようにそう告げれば、雪はぽかんと一時停止の状態になった。



 『そう遠くない内に、というより出来れば早いうちに、家族になって、一つの家に一緒に住みたい』

 これは、願いでも望みでもなく、決定事項の俺の意思。
 手の先を強く握れば、ブレスレットがさらりと動く。

 『今度は、指輪を贈らせて? 雪』
 『…』
 『いいでしょ?』


 しばらく待ってみたけれど、雪がなかなか動き出さない。


 『雪?』

 起こすように指を撫で続ける。


 『受け取ってくれるよね? 雪』


 『…ぅ…はぃ』


 まるで体をギュっと絞ったから出たような声が、俺の中に洪水のような幸せを流し込んできた。

 気が付けば口元が緩んで、

 目が合った雪も真っ赤な顔で唇を笑みに結んでいて、


 二人の間には確かに、幸せの形を掴んでいた。






 『タクミィ、なによデレデレしちゃって。締まりないわよ』

 咲夜さくやの腕に甘えるようにしがみつきながらそう言ったのは、素の咲夜さくやと同じ金色の髪色を持つジュリアーナ・トルリアーニ。
 眩しさに目を細めずにしっかり見れば、顔立ちも兄妹のように良く似ているこの二人は、咲夜さくやの母方、ロランディ側の従兄妹同士だ。

 『ジュリちゃん、久しぶりだね。こっちの高校には慣れた?』

 そして、メディアにもお呼ばれする女子大生すら尻尾を巻いてしまうこのゴージャスさがありながら、まだ女子高校生という衝撃の事実付き。
 たまに会った時、咲夜さくやとは違う苦労が、強がる態度の中に見える愚痴の端々から拾えていた。

 『慣れないけど、マシにはなった。タクミこそどうなのよ。ちょっとは人間とスル気になった?』
 『なったなった。可愛くしてないと、結婚式に招待されないぞ』

 咲夜さくやの横槍に、ジュリちゃんが顔を輝かせる。

 『嘘! ほんと! ブーケトスするわよね? 絶対に招待してね! タクミ!』

 お祝いするのが目的じゃない事が丸わかり。
 もしかして…、


 『好きな人でも出来たの? ジュリちゃん』
 『わかる!?』
 『煽るな、たくみ

 ため息を吐く咲夜さくやの様子からすると、どうやら状況は兄が望むような恋ではないらしい。

 『サクヤの石頭!』
 『お前な…』
 『まあまあ』


 適当に合の手を入れれば、ジュリちゃんが矛先を俺に向けてきた。

 『タクミなら応援してくれるわよね!?』
 『あ〜、どうかなぁ? 相手によるかなぁ?』

 基本、ジュリちゃんには甘い咲夜さくやが寛容になれないほどの相手なら、安請け合いは出来ない。

 『タクミのバカ!』
 『ごめんね?』
 『何よ! 猫にしか発情しない変態だったくせに、自分だけ幸せになるなんてひどい!』
 『…ごめんね?』

 言い方はどうかと思うけど、強く反論できないところが痛い。
 曖昧に笑った俺に、ジュリちゃんがほんの少し眉尻を下げる。

 『でもお祝いはちゃんと言うから、連れてきなさいよ、その雌猫』
 『…ジュリー』

 呆れ顔の咲夜さくやの視線を躱すように、ジュリちゃんはプイっと横を向いてしまい、

 『まあまあ。お祝いしてくれるって言ってるんだし』

 これで彼女の名前が"ゆき"だと知ったら、きっとジュリちゃんの感情には一瞬で火が点いて、雪の為に俺を怒鳴りつけてくるのかも。
 良くも悪くも真っ直ぐで純粋。
 見た目よりも、それが一番の魅力でもある女の子だ。


 …普通の男の、手に負えるかどうかは別だけど。








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