『さあ、みんな来てきて〜』 なっちゃんが大きな声をあげて、柵内のガーデンに散らばっている子供たちの視線を集め、その隣で七緒ちゃんが箱から可愛いお菓子の包みを取り出すと、甲高い悲鳴がたくさん上がって集まってきた。 男女比率半々に見えるのに、小さい子の声ってのはどこを切り取ってもキンキンと甲高い。 子供達に説明された宝さがしゲームのルールを聞きながらビールを飲んでいると、漸く、店内から出てきた雪の姿を見つけた。 『やだ、もしかしてアレがタクミの婚約者《フィダンツァータ》?』 『え?』 ジュリちゃんが透かさず当ててきて、俺は内心ぎょっとする。 大人びた子ではあったけれど、機微の感知は年相応だったはずなのに、不意を突かれて動揺した。 『ワオ! タクミが普通の男に見えるわ、サクヤ』 『だろ?』 『…』 一見意地悪く見える笑みが、よく似てるよね、ほんとに。 そんな従兄妹《ふたり》を尻目に、俺は雪を目指して歩き出す。 …あれ? 少し顔色が悪い――――――? 『雪』 慣れない環境で人酔いしたのか、それとも気分が悪くなったのか。 『何かあった?』 俺の問いに、曖昧に肯定した雪の言葉に何かがかかる。 そんな訝しさが顔に出ていたのか、少し沈んで見えた表情を笑みに作り上げて、雪は肩を上げた。 『さっき急に生理になっちゃって』 『え?』 『たまにあるんだよね。色々あって、体がびっくりしちゃったのかも』 色々、と言われて、初めて雪を抱いたバレンタインのあの夜から行われてきた数々のプレイが頭を過る。 『あ〜、…うん、そっか…』 ちょっと、親友にも言えない頻度と濃厚さだもんな。 まあ、雪も趣味が重なって面白がっている節があるから遠慮なく続けてきたけれど、ただでさえ細い身体。 無理があったのかも知れない。 『あ、もしかして帰る? なら俺も一緒に――――――』 言いかければ、雪はそれを制するように首を振った。 『大丈夫。まだ始まったばかりでしょ? 今、 『でも――――――』 本当は、まだ離れたくないのが本音。 『雪が俺の婚約者になったって、みんなに自慢しようかなって思ってたのに…』 二人の額同士を合わせて、熱がないか念のため確認。 大丈夫みたいだ。 『…そういうのは、指輪貰ってからの方がいいなぁ』 小さな笑いと共に告げられた雪の言葉は、さっき貰ったYESの証拠。 夢じゃない。 これからずっと、一緒にいられるという、その約束があるからこそのセリフに、じわじわとくる笑顔が抑えられない。 『うん。そうしよう。いつ行く? 来週末?』 一度、ルビさんに連絡を取っておこう。 婚約指輪はスノーホワイトをアレンジしてピンクダイヤを使えないかな。 オパールに映えて凄く綺麗な指輪になると思うんだよね。 想像の中の指輪がそこに飛び出してきそうなほど、俺の頭の中ではもう形になっていて、 『シフト確認してからね』 オペレーターの仕事が好きらしい雪の現実的な返しに、落胆が凄い。 ここはもうちょっと、ロマンチックでもいいんじゃないかな…? 『そっ、か…』 『直ぐそこでタクシー、拾うから。家で少し落ち着いて、もし戻れそうならラインするし』 俺を気遣って言ってくれているだろうその言葉に、俺は頷いた。 この集まりが大事な時間だという事を理解して慮ってくれていると思うと、満たされた気分になる。 小さい頃からずっと探していた、自分が自分で在れる場所をようやく見つけたんだと、感動すら覚えていた。 『わかった。でも体調とか悪くなったら直ぐ連絡して? あと、家に着いても合図して?』 『うん。ちょうどちっちゃい子達も盛り上がってるところだし、七緒さん達にもこのまま黙って行こうかな。 『ん、伝えとく』 『じゃあね』 整備された歩道へと進み始めた雪の後ろ姿に、思わず声をかける。 『気を付けてね、雪』 『うん』 雪は、にっこりと笑って俺を肩越しに振り返った。 『バイバイ、 バイバイ。 『――――――雪?』 少し早足になった気がする雪の後ろ姿を、なぜか追いかけたい衝動に駆られた。 『…』 でも、体調が悪いのに、追いかけてうるさいとか思われないか…? ゆっくり一人になりたいって思ってたら――――――。 七緒ちゃんが出産の時、初めて"うるさい"と言われたと、亜希が落ち込んでいたSCENEが脳裏に掠る。 ほんの少し前まで、凄く分かり合えた気分になっていたのに、またちょっと、他人の感じが戻ってきている。 自分でも驚くくらい、雪の事となるとほんとに愚かで複雑だ。 『あとでラインするか…』 建物に隠れて雪の姿が見えなくなったところで、俺は元居た いわゆるカンフル剤。 …まあ、大抵、表面上は人受けの良いこの見た目と、男女を区別しない俺の公平そうに捉えられる雰囲気を活かした調整役《バランサー》としての役割が前提。 はじめの内は、良いように使われていると思わないでもなかったけれど、長年佑《たすく》とやり取りしていれば、十年先を見据えて俺の存在を社内のコア各所に浸透させる事が本当の目的だと理解できた。 問題は、昼休みがまったく定刻通りじゃないとうところ。 『…オフラインか…』 この状況を雪に伝えたいのに、社内チャットがここ数日オンラインにならない。 ラインも、まったく反応がなかった。 雪が体調崩して先に帰ってしまったあの日は、みんなからのお祝いムードにやられて結構酔っぱらって、 "ゆき、たいちょうどう? 明日いくね。会いたいけど、きょうはもうぐろっきー。×××" 翌朝、既読がついていないのを倒れてやしないかと部屋の前まで行ったけど、まったく反応なし。 合鍵が先だったと悔やまれた。 二日経ち、三日が過ぎて――――――、 携帯…失くしたとか? 社内で会ってもあたしを下の名前で呼ばない事。 社食でもし隣に座っても不必要に密着しない事。 その手を餌にしてあたしを操ろうと思わない事。 付き合う時に雪から提示された条件には入っていない、という事を建前に、俺が入れない区画のセキュリティの前でしばらく待ち伏せてもみたけれど、見知った女子達に囲まれて騒がしくなった時点で、この状況が、雪が条件を出した背景の最大事項に抵触する事を察して引き揚げた。 あれから今日で四日。 社内チャットは一度もオンラインにならないけれど、俺のID特権で確認できる出退勤ではシフト勤務完了のフラグがついている。 つまり雪はいつも通り出社していて、 "藤代ちゃんってやっぱり食欲凄いよね。どこに入ってるの、あれ" 財津が不意に振ってきた話から確認すれば、社食での目撃で間違いなく…、 ――――――俺が、関連会社《ベンダー》に出向いて、午後まで出社しなかった日に限って…? 心音が、体を震わせる。 もしかして、…やっぱり、故意に、避けられている――――――? 具体的に表現はしたくなかったけれど、この状況はそうとしか言えない。 なんで…? どうして…? 『宮池、この前に調整頼んでいた四月の 真玉橋さんの声に、ハッと視線を上げる。 『…はい、――――――聞いてますよ。四月のスケジュールですよね。プレス発表の時期に合わせて三パターン調整済みです。これからCCに入れてマリアンさんに送付しますね』 『頼んだぞ。――――――体調、よくないのか?』 眉間に、僅かに皺を刻んだ真玉橋さんに、俺はにっこりと笑って応えた。 『いえ、問題ありません』 ――――――翌週、タクシーでの出社を決めたその初日で、俺は雪を捉えた。 およそ一週間ぶりに見る雪の姿。 見慣れた制服の筈なのに、眩し過ぎて目を逸らしてしまいそうになる。 これではっきりした。 雪は、俺が出社しているかどうか、車の有無を確認して判断。 俺がいない時は、いつも通りセキュリティのこちら側に出てきていた。 つまり、現実として、雪は確実に俺を避けている。 どうして? なんで? 答えが見つけられない疑問が、頭の中をぐるぐると回り始めた。 『ゆ――――――』 思わず駆け出しそうになっていた自分を寸のところで抑え込む。 『――――――藤代さん』 絞り出すように紡いだそれは、俺の中を爆発している心音よりも、あまりにも頼りなかった。 久しぶりに目にした存在が、痛いくらいに胸を刺してくる。 華奢な肩越しに振り向いた雪の表情が、そこから刃を返すようにして心を抉った。 『宮池さぁん、どうしたんですかぁ?』 俺と雪が、親しくなる前と同じような作り物。 ――――――意思が含まれている分、もっと距離を感じてしまう。 『宮池さん、これからお昼――――――ってわけじゃないですよねぇ?』 何も持っていない手に視線を向けられて、更に怖気づいた。 周囲にいる他の社員に勘付かれれば、距離を空ける理由に正当性を渡してしまう。 『いや、えっと…』 どうすべきか。 どう始めるべきか。 冷静に考えを紡ぎたいのに、脈のようになっていた何故という疑問が気づいたら口を突いて出ていた。 『――――――何か、怒ってる…?』 『えぇ? どういう意味ですかぁ?』 『連絡…既読にもならないし、マンションにも、いないよね?』 雪を前に、いま起こっている事を言葉にすれば、ますます意味が分からなくなった。 どうして、なぜ、一体なにが――――――? けれど雪は、そんな俺の問いに答える気はないようで、手にしていたスプーンをトレイに置き、立ち上がる。 『ごちそうさまでしたぁ』 『え?』 あんなに食べる事が好きな雪が、特に社食で気に入っているらしいカツカレーを途中で止めるなんて、 『ゆ、…藤代さん、ごめん』 俺を避けていたのなら、社食に来ない日はパンとかで済ませていた筈だ。 声をかけてしまった事でそれを中断するくらいなら、 『食事の邪魔はもうしないから、ちゃんと食べ――――――』 言いかけた俺の目に、雪の真っ直ぐな視線が合わさってくる。 吸い込まれそうになる、澄んだ水晶に、時間が停止する魔法がかけられたようだった。 『あたしぃ、急ぎの用を思い出したのでぇ、お先に失礼しますねぇ』 小さく会釈をしてふわりと髪が揺れ、雪の足が俺から遠ざかろうと動き出した。 『まっ、――――――理由が知りたい』 何か俺に非があったのなら、雪の意に沿うように考えてみる。 『藤代さんが怒ってる理由』 だからもう一度、 " はにかんだ笑顔で、俺を――――――…、 『そうですねぇ』 求めていたもよりも、ずっと可愛らしく作り笑った雪は、 『知らなかった事を知れて、理解してぇ、もう何も入らないくらいお腹いっぱいになったからですかねぇ?』 俺の理解出来ない言語を、築いてきた筈の二人の時間の上に積み重ねた。 『ごめん、本当に意味が…』 つぶれる――――――。 つぶされる――――――…。 歩き出した雪の後を、思わず追いかけていた。 『待って、頼む、話を――――――』 『もう終わりって事です』 ――――――…、 『終わり…』 ――――――なんだろう、地面が…、 『…雪?』 揺れて――――――、 『―――――― 肩に、手が置かれた。 『どうしたの? ふらついてる』 ゆっくりと首を廻せば、立っていたのは財津で、 『大丈夫?』 いつも前面に押し出している軽薄さが見えないその態度に、自分がどれだけ危うく見られているのかが判断できた。 大丈夫、――――――だ。 辺りを見回す。 ところどころで、こちらの様子を窺っている他人の好奇心旺盛な顔がある。 『――――――うん、大丈夫だよ』 唇の両端を持ち上げれば、何故か財津の眉間が更に狭まった。 『でも、』 『ああ、そうだ。明日までに仕上げないといけない報告書はあったかな。あれは大丈夫じゃないかも』 『―――――― まだ俺の肩に置かれたままだった財津の手から、後退することでどうにか躱した。 『大丈夫だから』 大丈夫だから――――――。 |