小説:食べられる花


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Episode:資


 ――――――
 ――――

 頭痛い…。

 こんなに飲むつもりじゃなかったのに、昨日はさんざん雪との事をいじられて亜希に追い詰められて、しかもそのまま二人で床に雑魚寝して、体も痛いというダブルパンチ。

 思い出したら恥ずかしさで顔を埋めたくなるくらいのバカな話を何度も繰り返した記憶があるけど、亜希と七緒ちゃんの話も同じレベルだったから引き分けって事で忘却しよう。

 『――――――亜希?』

 姿が探せなくて部屋を見回せば、財布とスマホはまだテーブルの上に置かれたまま。
 シャワーかも。


 『そうだ。咲夜さくや――――――』

 結局、寝落ちするまで連絡がなかった咲夜さくやの事をふと思い出してスマホを探し出す。


 まだ既読がついていない。


 事故? ――――――それならロランディを経由して真玉橋さんから連絡が入る筈だ。
 誘拐? ――――――それこそロランディが見逃しはしない。


 咲夜さくやの名前をタップして発信。

 しばらくコール音が続いて、業務用携帯へと転送された。
 それでもコール音のみ。


 『…念のため、うん』


 上司である前に友人だから、あまり使いたくはないけれど、携帯がマンションにあるなら、もしかしたら中で倒れている可能性だってある。

 サービスにログインしてターゲットを選択。
 GPSで位置確認――――――いた。

 マップ拡大。
 拡大。
 拡大――――――と。


 『――――――え?』


 信号が発信されている場所として特定されたその建物に表示されている地図記号は、H。
 ホテル…って、


 いや、ホテルはホテルでも、


 『ここ、ラブホ――――――だよね?』


 デザイナーズホテルと銘打ちながら、各部屋の防音に定評があり、ラグジュアリーな雰囲気と充実したルームサービスの料理で四つ星がついている予約可能なファッションホテル。
 俺が高校の時に付き合っていた彼女の友人の伝手で、一度だけ利用した事がある。
 白か黒か、部屋のイメージカラーが真っ二つ。
 それなりにトータルコーディネートで見せてはいたけれど、計算された威圧感があって俺はあまり好きになれなかった。

 『…じゃなくて』

 頭痛を振り切るように思考を固め直す。


 なんで咲夜さくやがラブホテルに?

 咲夜さやちゃんが自分の持ち物である会社に働いていると知って、予定を早めて日本に戻ってきた咲夜さくやは、他の女なんてストイックに傍においてない。


 『あ』


 違う。

 一人いた、可能性がありそうな人。

 もしかして――――――マリアンさん?


 そんな結論を導いたのとほとんど同時に、咲夜さくやからメッセージが入ってきた。


 "昨日はすまなかった。急用ができた"


 『急用…』

 まるで符丁のように呟けば、今度は着信が入ってくる。


 表示された咲夜さくやの名前を何回か読み直して、一つ咳払い。
 それから画面をタップした。


 『――――――咲夜さくや、おはよう』
 【ああ。昨夜はすまなかったな】
 『いいよ。ただ、次はちゃんと連絡してよ。らしくなくて、心配したし』
 【だな。マジで悪かった。亜希はもう帰ったのか?】
 『いるよ。今シャワー中…だと思う。俺も今起きたばかりでさ』
 【そうか】
 『くだらない話でバカみたいに飲んじゃったよ。二日酔いで頭痛い』

 大袈裟に声音で伝えれば、微かに漏れた咲夜さくやの笑いが耳に届く。

 【楽しめたんなら良かった】
 『うん。咲夜さくやも、――――――楽しかった?』

 この一言で、咲夜さくやなら俺が何をしたか気づくはずだ。

 さあ来い。


 拳を握って待った答えは、



 【――――――ああ。至福の時間だった】



 その柔らかい声音で紡がれた言葉に、じわりと感動が全身を走る。

 漸く、長年報われない恋に終止符を打って、別の人と歩き出す気に――――――、


 【泡沫の夢だと分かっていても、十分だ】


 …ん?


 【これを支えに、また新しい気持ちで咲夜さやを見続ける事が出来る】


 …えっと…、



 『あのさ、咲夜さくや――――――』
 【悪い、切る】
 『え?』


 …嘘だろ。



 『――――――あ、たくみ、起きた? 朝ご飯さ、お茶漬けにしない? 頭痛くてさ』
 『…俺も』
 『あれ? 誰かと電話してたの? もしかして咲夜さくや?』
 『…ん』
 『元気だった?』
 『ん』
 『それなら良かった。ケトル使うよ』
 『ん』



 吹っ切る方向、望んだのはそこじゃない、咲夜さくや



 昨夜は適当な子とワンナイトラブを楽しんだって事かな。
 まさかそんな事に仕事も一緒にするマリアンさんを巻き込むとは思えないし。


 『…はあ…』


 深いため息が無意識のうちに吐き出された。



 痛くて、苦しくて、――――――まるで拷問。

 咲夜さやちゃんに相手がいる限り、俺と違って咲夜さくやに打つ手は何もない。

 親友の喜びを心から納得できない自分にも腹が立つけれど、
 甘んじてその苦しみを引き受けているような咲夜さくやの達観ぶりにも苛々する。


 そんな自虐的な恋を、

 『いつまで続ける気…?』




 鈍ったその時の俺の思考では、その日の咲夜さくやの相手が誰だったかなんて、深く考える事が出来なかった。





 とにかく、近づく事には成功。

 金平糖を渡した日から一週間。
 いずみ達に引っ張られる形で雪も俺を避けなくなって、食堂で一緒にランチを楽しむ時間も以前のように…とは、何となく別の意味で距離はとられているから言えないけれど、まずは死ぬほど嫌がられていない事は確認した。

 死ぬほどって言葉がすごく刺さる…。
 でも、ウィークリーマンションすら借りて徹底的に避けられていた事実を雪本人からポロリと聞いて、それくらい排除されていたんだと思うと、もう慎重に慎重だ。


 ユキもかなりの時間がかかったけど、警戒心が出た二回目ともなれば、ハードルはあの時以上、だよね…。



 ――――――
 ――――

 "――――――み"


 ん…?


 "たくみ"

 …ん…あれ?

 ユキ?


 どうしたの、しゃべってる?



 "ほら、たくみ、こっち"


 指先を、懐かしい感触の肉球にちょいちょいと引っ掻かれて、俺はベッドから起き上がった。
 ノロノロと歩き始める。


 "ほら、たくみ、見て?"


 ユキに言われて視線を彼方に仰げば、



 …え、

 ――――――雪!?


 "ふふふ"


 ちょっと待って!

 なんで裸!?



 まるで妖精のように白銀の景色の中を飛んできた雪は、踊るようにして俺の周りをくるくると駆ける。

 裸体に絡む白い風。
 光の反射で時々藍色にも煌めく白い髪。


 …白い髪?


 ……ユキ?


 雪じゃなくて、ユキ?


 でも足元にいるのは――――――、


 "あたしが雪だよ?"



 えっと…、


 屈みこんでユキ…雪へと手を伸ばせば、ゴロゴロと頬をあててくる。

 ああ、ユキだ。

 久しぶりのユキの感触…。


 "あたしがいなくて寂しかった?"


 うん。

 寂しかった。


 "ふふ"


 ふふ。


 ああ、なんか幸せだ。

 このまま時間が止まればいいのに――――――…。



 "――――――たくみ、どうして他の雪を見てるの?"


 え?


 頭上から眉間に皺を寄せた顔で俺を睨みつけているのは、雪の姿をした…ユキ、の筈…。



 あ、いや、でも――――――、


 慌てて身振りが出たけれど、それ以上の言葉は何も出てこない。


 "寂しかったんでしょ? ユキわかるよ。ほら見て、たくみ。ユキ、人間の女の子。色んな事、出来るよ?"


 え?

 ええ?


 ちょっと待って、


 あ、


 そこ、舐めないで、


 ユキ、


 あ、そんな、



 "たくみ"


 ユキ…、こら、乗るなって、


 "みゃー"



 雪――――――…?


 "ほら、もう出る――――――?"





 『……ッ、ちょっと待ったぁぁああ!』


 勢いよく、文字通り飛び起きた。

 途中から判ってたぞ。

 これは夢だって。



 『――――――出てなくて良かった…』


 どこを触って確認したかなんて、言葉にするのはやめておく。








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