小説:食べられる花


<食べられる花 目次へ>


Episode:資


 『ねぇねぇ、さっきすっごいの聞いたんだけど』

 部屋に入ってくるなり、財津が珍しく真剣な表情でそう告げた。

 『って言うか、まだ顔色良くなんないね〜たくみ
 『ほっといて』

 夢見が悪かったって話は、触れてほしくないからの先手で真っ先に伝えたのに、気遣いという名でガンガン刺してくる。

 『ドリームキャッチャーとか贈ろうか?』
 『要らない』
 『ああいうのも侮れないんだよ?』

 冒頭からすっかり話題が変わってしまっている事に、本人はまったく気に留めてもいない様子だ。

 『…今日のはカムフラージュなんだっけ?』
 『そ。あちこちの会議室に顔出して、デバイスチェックして遊んでる』
 『…遊んでる言わない』
 『だって公認で社内散歩だよ? ずっとパソの前だけだと疲れるし目は萎むし体固まるし足に根っこ生えるし〜』

 カムフラージュというのは咲夜さくやの為にこっそり活動中のうちのチームが、ちゃんと仕事してますよ、というアピールをするための課外活動みたいなものだ。
 隠れ蓑のシスサポがあるとはいえ、そのメンバーが引きこもりすぎるのは怪しいという事で、人事部、つまり堂元さんの案をローテーションで採用中。
 その内容は雑用から本気のシステム関連まであるけれど、確かに、普段手掛けている仕事とは少し違う感じが面白かったりはする。


 『で? 凄いのって?』

 結局、憎めない奴って感じで俺が折れる。


 『そうそう! 聞いてよ。もうびっくりしちゃった』
 『だから何』
 『咲夜さくやの鼻歌』
 『は?』
 『聞いちゃったんだよね、咲夜さくやの鼻歌』


 鼻歌?

 咲夜さくやが?

 『時々英語の歌詞がポロっと出たり、なんか超ごっきげーんって感じでさぁ』
 『…えっと――――――や、何かの間違いじゃない? 俺、中学から一緒だけど、そんなまともな鼻歌、聞いたことない…よ?』

 カラオケには一緒に行った事あるから、歌声は知ってるけど、

 鼻歌って、咲夜さくやが?

 『…絶対に、無い』

 絞り出すように言い切ったけど、

 『うん。オレもはじめの一瞬は自分の耳疑ったんだけどさ、しかもあれだよ? エドちゃん』
 『…エド、』
 『何年か前の、ちょっとエロッちい曲、君の形、だっけ』

 それは確かに、咲夜さくやお気に入りナンバーだ。


 バーで見つけた女の子と意気投合。
 強気で弱気で部屋に連れ込み、その後もなんだかんだとデートをする話。


 『最近、精神《メンタル》の調子いいなとは思っていたけど…』


 ホテルに連れた子、一体どれだけ気に入ったんだ?


 『うーん、咲夜さくやが元気なのはいいけどさぁ』

 財津が、唇を尖らせた。

 『相手は彼《・》女《・》じゃないんでしょ?』

 既に咲夜さくやが女関連で浮かれていると結論づけたらしい。

 『どうかな。俺も聞いていないから』
 『オレは断然、夜咲くコンビが良かったなぁ』
 『そのネーミング』

 思わず笑いを噴き出せば、財津は調子に乗って力説した。

 『だってほんとにずっと一筋だったでしょ? 叶って欲しいな〜って思うもん』
 『それは、――――――そうだけど、ね』


 これまでの色んな事を反芻する。
 咲夜さくやの事、自分の事。
 そして、これからの事も。


 『それでも、歯を食いしばって、――――――踏み出せない自分を受け入れるしかない時も、あるんだよ』


 俺の言葉に、財津が珍しく、ほんの少しだけ悲し気な顔をした。




 ――――――
 ――――

 "あ、藤代さん"
 "たくみさぁん、お疲れ様ですぅ。今からランチですかぁ?"
 "うん。藤代さんはもう終わり?"
 "はいぃ。それじゃあ。お先に失礼しまぁす"

 人懐っこい笑顔を浮かべていても、物凄く、軽くあしらわれてるなって、自覚はあるけどね、俺なりに。


 『なんか、悲しい…』


 デスクにうつ伏せて呟けば、自分の声がやけに空しくリフレインして耳に届いた。
 それはどうやら、他の人にも同じだったらしく、

 『いい加減にしろって。これ以上は面倒にしか映らない』
 『ははは、目黒っち厳しい〜』
 『大体、仕事のスペースにそういう雰囲気を持ち込む事自体があり得ない』

 目黒さんの吐き捨てるような言葉に、戒められて顔を上げた。
 確かに、限定された人数しかいない密室で、この態度はペナルティだ。

 『立ち直りました』

 いつもの、女子に騒がれる王子様然とした笑みで姿勢を正せば、

 『ぷはは、たくみ』、隈でその表情はコントだよコント。目黒っちもさぁ、いいじゃんいいんじゃーん。今は休憩中だよ? 仕事はちゃんとやってんだしさぁ。はい、糖分糖分〜、足りないと辛いからねぇ』

 誰かの土産だったと記憶しているフィナンシェを手渡しながら、財津がにっこりと止めを刺してくる。

 『仕方ないよね。振られたり関心を引けないのなんて、免疫ないんだもん、たくみ
 『…財津、お前…』

 よくも死人に鞭打つような事を――――――、


 『でもさぁ。藤代ちゃん、たくみを嫌ってるようには見えないよねぇ? いっその事、壁ドン! 床ドン! ベッドへドン! 強行突破しちゃったら?』

 歯がキラーンと光りそうなくらい満面で笑った財津に、俺はまた机にうつ伏せる。

 『そんな事したら、今度こそ雪の人生から排除される気がする…』
 『んんん、じゃあそっと? 肩にタッチ、背中にタッチ、ここにタッチ! ――――――で気が付けば触られずにはいられないバージョンを作り上げる』
 『お前が何を言ってるのか、悪いがさっぱりわからない』

 目黒さん、代弁ありがとう。

 『あれだよ、あれ。キャバ嬢ちゃんのテクニック。太腿に手を添えたり、肩にちょっと顔を乗っけたり』

 太腿に雪の手…、
 肩に雪の顔…、


 "たくみ"



 ――――――なんか、俺の腕の中にいた雪を、むっちゃくちゃ思い出す…。



 『…そんな事されたら、犯罪者になる自信、あるんですけど』


 眩暈を覚えたと同時に、言葉だけがポツリと動く。


 『宮池、お前、とりあえず食堂閉まる前に飯行ってこい』

 目黒さんに低く促されて、俺は溜息を吐きながら立ち上がった。



 ランチのコアタイムからずれたこの時間、社食のピークは完全に終わっていて、


 『雪…』

 何も考えずにラーメンを注文して無意識のうちに進んだ先には、大盛りの焼肉チャーハンを黙々と口に運ぶ雪が広いテーブルを一人で陣取っていた。


 『――――――藤代さん、ここいい?』


 何のことはない、そんな澄まし顔で尋ねたけれど、内心は怖そうなくらい心臓バクバク。
 実は、"駄目です"って断られる心の準備は、しっかりしていたりする。


 『いいですよぉ、どうぞぉ』


 その答えに、ホッと息を吐くけれど、――――――見せつけられた笑顔に胸が痛くなる。
 この笑みが向けられる俺は、雪の中ではその他大勢とあまり変わらない立ち位置である事の証。


 馴らす、なんて、そんなレベルまで到達できるんだろうか。

 もう二度と、恋人としての位置には戻れないような気も、――――――していたりする。


 一番近くにいる時、どうして俺は愛し愛される事に躊躇したんだろう。

 また雪が、俺を傍においてくれるなら、今度は間違えたりしない。
 俺の全部で愛して、俺の全部で信じて、たくさん愛して貰って、信じられたい…。


 その為に、考えなければならないのは、雪の事情、雪の考え、雪の意思。

 …漫画の中の王子とかならいいけど、まさか新しい奴とか、見つけてないよな――――――?



 『あの、一つ聞きたいんですけどぉ』

 ラーメンを置いて割り箸を手にした俺に、雪がぐっと身を乗り出してきて声を潜めた。

 久しぶりの距離感に甘い香りさえも漂った気がする。

 『…ッ』

 キュンとした感覚が痛みとして胸に下りた瞬間、



 『ぶっちゃけぇ、――――――室瀬さんって、西脇さんの事、まだ諦めてないの?』




 『え――――――?』


 室瀬さん…――――――って、咲夜さくや


 『…なんで?』


 ムッとした感情を自覚した瞬間、反射的に出た言葉がこれ。
 振動した声は、もう俺の中には戻れない。

 どうしようもない事だと思うのに、こんなに唐突に聞かれたら、一気に嫉妬は発芽する。

 俺が目の前にいるのに、なんで咲夜さくや



 『え? 何でって――――――』


 戸惑う雪に、余裕のない俺は表情を取り繕えず、あっという間に雪の警戒心が強化された事をその眉間から察知する。


 『…あ、』

 バカだ俺。
 思わず、"素"でやってしまった。


 『ゆ、』

 慌ててリカバリーしようとして力が入ってしまった手の中で、握っていた割り箸がミシリと音を立てた。
 途端に走る激痛に、


 『痛《つ》ッ』


 気が付けば声が出ていて、


 『ひえッ』


 雪の悲鳴に釣られて自分の手を見下ろせば、親指の爪半月がざっくり切れている。


 げ、まさかの流血。


 『綺麗な王子の指がぁ…ッ』


 目を大きく見開いて俺の手をジッと見つめる雪の唇から聞こえてきたそんな言葉に、


 よかった。
 雪にとって、まだ俺の手にはちゃんと価値があるらしい。


 心に温かいものが染みて、


 指先を、節を、指の間を、掌を、そして甲を――――――、雪に愛しそうにゆっくりと撫でられた記憶が鮮やかに蘇ってくる。




 ――――――そうだ。


 こうして伸ばされてきた手にキスをして、白い腕を唇で這って、その首元、そして――――――、


 『王子…』
 『!』

 …やばい。

 雪の声での王子呼びが懐かしくて胸にグッときてるんですけど。
 そして危険なことに、そこに雪の手がバーチャル的に恐ろしいほどの存在感で俺の方へ出て来てるんですけど。


 触りたい。
 これ、触ってもいいんじゃない?

 だって向こうから伸ばしてきたわけだし、


 でも、


 でも――――――、



 『王子、大丈――――――』


 ダメだ。

 全然大丈夫じゃない。


 もうちょっとで、雪が俺の手に触れるとか、なんかもう、葛藤が、色々制御できなくて、


 待って、

 近づかないで雪、


 ここで一部でも繋がったら俺は――――――…ッ、



 『――――――触る、な』


 それは、雪に言ったのか、それとも自身を止めたのか。

 口にした途端、プシュッと、自分の思考に穴が開いた気がする。



 『…あ、ですよ、ねぇ…』

 眉間を狭めた雪から半笑いが零れたと同時に、ようやく我に返った。


 『あ、違うんだ、ごめん、ゆ…』

 じゃなくて、

 『藤代、さん…』


 他人じゃないといけない。

 次も警戒心を持たれずに雪に近づく事を許してもらうには、


 "好き"

 それを見せないように関係を持続するにはどんなセリフを紡げばいいのか分からなくて、続きがまったく出てこない。



 『――――――ううん、ほら、手、やっぱり王子の手はね、格別って言うか』
 『!』


 距離感を保とうとする雪の声が、真っ白になった脳に入ってきた。


 『あ…』

 良かった。
 安堵が背中を押して、どうにか笑みを作る事が出来て、

 『――――――ちょっと、深く刺さっただけだから』

 まだ大丈夫。
 俺の手は、まだ雪には価値がある。

 『直ぐに治るよ』


 手がかりがなかった前よりマシだ。
 まだ、次はある。



 『せっかくの綺麗な手なんですからぁ、傷なんか残さないようにしてくださいねぇ?』



 心は結構、傷だらけですけど。

 雪の愛想笑いに、俺も頑張って目を細め返した。





 それからは、

 真玉橋さんが驚くほど、咲夜さくやの処理能力が更にパワーアップした事や、珍しく長期休暇を要求してロランディサイドと相当もめた事を除けば、――――――除く為にはそれはもう、いろいろ死にそうになったけど…、そこは友情で割愛。

 とにかく、プライベートは毎日が平常運転の繰り返し。

 俺と雪は相変わらず、お姉様方を挟んで時々ランチして、健全なオトモダチ距離で友好を維持《キープ》。
 …というより、すれ違っても、嬉しそうな演出で挨拶してくれるだけで、以前の状態に比べたら最良と言える。



 『どころでさぁ』

 真玉橋さんを一《はじめ》とした目黒さん、財津、そして俺での、週明けブリーフィングを終えたタイミングで、ノートPCを畳みながら財津が俺の方へと瞳を覗かせる。

 『咲夜さくやの相手って誰かわかったの? たくみ

 好奇心満々のキラキラ光るその眼差しに、俺は小さく肩を上げた。

 『何も聞いてないよ。いちいち遊んでる子の情報なんて報告し合わないし』
 『えええ、今すっごい旬でしょ、どんな子があんな風に咲夜さくやを夢中にさせちゃうわけ? もう知りたくて知りたくてどうかしちゃいそうなんだけど! 聞いてもはぐらかされるしさぁ』

 パソコンを胸に抱きながら体を左右に振る財津の態度に、目黒さんがため息交じりに言った。

 『必要があれば連携されるだろ。それがないのは、どうでもいい女か、――――――コンフィデンシャルか』

 チラリと、目黒さんの目線が真玉橋さんに向けられた。
 それを受けた彼は、僅かに首を振る。

 『ノーコメントだ。――――――第一、咲夜さくや様はそもそも、女性関係で時間が欲しいとも明言していらっしゃない』


 俺はホテルに籠もった事を知ってるから、そっち方面だと確信して受け止めているけれど。

 …となると、コンフィデンシャルの可能性が高いかな。

 咲夜さくや咲夜さやちゃんを忘れて別の人に…か。
 財津じゃないけれど、確かに、相手が咲夜さやちゃん以外って現実は、少し妙な気分かも。

 忙しいのは元からだけど、最近は特にその彼女との時間捻出のために、これまで日本にいるのなら少なくとも週一であった俺や亜希との交流も皆無に等しい。








著作権について、下部に明記しておりマス。



イチ香(カ)の書いた物語の著作権は、イチ香(カ)にありマス。ウェブ上に公開しておりマスが、権利は放棄しておりマセン。詳しくは「こちら」をお読みくだサイ。