――――――重い…。 「少しは遠慮とかしろってマジで」 「もう、これくらいで悲鳴上げてるようじゃ、頼りがいのある旦那様にはなれないわよ?」 言いながらも、相手が佑《たすく》なら、絶対にこれだけの量にはならなかった筈だ。 「こんだけ買い込むんなら車出した」 「こうして歩くのもデートの内なの」 陽の加減でキラキラと光る婚約指輪を時々意識するいずみが、不思議と可愛く目に映る。 「来週からね、マージュ・ケリのブライダルエステに通うの、もうすっごく楽しみ」 ルビさんの仲介によって予想より早くケリさんと連絡がつき、ついさっき予定が立ったばかりでかなりはしゃいでいる。 「はいはい」 「ブーケはね、千愛理さんにお願いするから」 知らない仲じゃないから、そっちは自分で調整するってことだろう。 「ああ」 幸せに溺れている人は、貴金属よりも輝いて見えるんだな。 「指輪、似合ってる」 正直、揶揄《からか》い半分で言ったのに、 「ふふ、ありがと」 躊躇わずに満面で返してくるから、あてられた。 幸せそうで何よりです。 指に食い込んできた荷物を少しずらして前を見て、 「…え?」 俺は、そこに立っているのが何なのか、しばらく答えを得られなかった。 「――――――雪?」 たっぷりと時間をかけてその名を呼べば、 「え? 藤代さん?」 隣でいずみの声が上げる。 それで初めて、自分が幻を見てるんじゃないって確信して、けどなんで、雪がここにいるのとか、偶然なのかとか、 「雪、どうして…?」 色々な情報が頭の中を錯綜しすぎて、睡眠不足で半覚醒状態だった脳みそに、ようやく今、血液が巡り始めている。 「 いずみが、俺の肘のあたりを指先で叩いてきた。 見れば、鋭い目線が俺に向けられている。 「藤代さん、顔色が悪いみたいだから、上がってもらったら?」 これはチャンスよ、解ってるわよね? そんな無言のプレッシャーが伝わってくる。 けれど、俺が応える前に、雪が口角を小さく上げた。 「…大丈夫ですよぉ、ちょっと意外な組み合わせに驚いてただけですからぁ」 雪…? 一体どうしたのか、雪の表情がみるみる青くなっていく。 まるで血の気が全部引いたみたいだった。 「雪、ほんとに顔色が…」 「大丈夫ですからぁ」 ――――――雪…? 「でも、びっくりしましたぁ。お二人とも、いつの間に――――――」 …え? 「雪…?」 よほど体調が悪くなったのか、雪の目からぽろぽろと涙が零れ始めて、 「ゆ、」 思わず一歩踏み出しかけた時、 「…あれから、まだひと月じゃない」 雪から絞り出されたその言葉に、俺は思わず動きを止める。 「あたしは…、あたしは!」 「雪――――――、」 「王子のバカッ!」 え? 「こんの浮気者!」 「え?」 「似非王子!」 「ちょ、」 「処女返せ!」 「えっ、」 あまりにも突然過ぎる攻撃に、俺は成す術も反論もない。 「処…、ちょっと! どういう事!? 「あ、いや」 いずみも、さっきまでの柔らかさとは一変、その顔は本性むき出し状態。 前につんのめりそうになるくらい、両拳に力を入れて叫び続ける雪は、…可愛いんだけど、 「俺も状況がよく――――――」 「あたしはまだ、 ――――――え? ハッとして、雪を見た。 目を真っ赤にして、涙でぐちゃぐちゃで、そんな状態でのさっきの言葉が、冗談だったなんて思えない。 「雪――――――」 確かめたい。 本当に、まだ俺のマイスノーなのかどうか――――――。 「 背後からのいずみのエールに押されて、遠くなった雪を追いかける。 いい子ぶりっ子。 「はは」 さすが、従兄と揃ってずっと俺を気にかけてくれている幼馴染。 言い得て妙。 俺の性格を表すなら、これほどに的確な言葉はない。 本当に、良い子をしたかった、ただそれだけだ、俺は。 王子様のような宮池資。 押し方も引き際も心得ていて、遊びもマイルールでスマートに。 誰からも"良く"見える事。 歪でない事。 …あり得ない。 本当は、そんな俺は、俺じゃない。 ねぇ雪。 俺の愛し方はきっと、人が称《い》う"普通"には填まらないんだよ。 だから、いつだって線を引く。 はまらないように、溺れないように、最初から見限った振りをして、醒めた関係だけを求めてきた。 それを覆したのが藤代雪。 可愛くて、 可哀そうで、 愛おしくて、 憎らしくて、 呼吸をする事に息苦しさを感じない、一緒に"生活"が出来る存在。 あの安らぎを、 あの心地よさを、 言葉にすると微妙に形が変わってしまう、あの幸せな時間を、 ――――――全て《100》を求めようとする俺が、もしかしたら、その幸せすら両腕の中に固め過ぎて壊してしまうかもしれないけれど、 雪と二人で、未来に生きる可能性があるなら、俺は――――――、 「雪!」 左右に跳ねる髪を見つめながら、一心不乱に雪を追いかけて入り込んだのは、疎らに人が行き交う公園の敷地内。 子供が遊べる遊具はまだ先にあって、ここは周回途中のベンチが並ぶレンガ敷きの広場だ。 「雪!」 何度呼び掛けても、雪は振り向きもせず、ひたすら俺から逃げている。 「はあ、…ッ、ったく」 くっそ! 何なのあの子、意外に足早いし、体力あるし、 ああ本当に、人慣れしていない猫を追いかけるのと変わらない。 ユキにはジャーキーが効いたけど、雪には――――――、 そう考えた瞬間、天啓のように目に入ったソレに、俺はミリ秒も迷わなかった。 「よ、っと」 空き缶入れに手をかけて、思い切っきり引っ張り倒す。 ガシャーンと、聞けば誰でも何事かと振り返りたくなるような音が響いた後、かなりのアルミ缶と、数本のペットボトルがカラカラと転がっていく。 周囲の人はもちろん、雪も驚いた様子で立ち止まり、肩越しにこちらを振り向いていた。 はい、振り向かせ成功。 次は――――――、 「――――――雪」 突然その場に座り込んだ俺に、「…え?」と雪がポカンと口を開け、目を丸くしていて、 「どうなってもいいの?」 ゆっくりと、地面に手をかざすようにして動かせば、雪の顔色が真っ青に変化していく。 「…それダメ…、やめて、手が…」 雪の声はか細かったけれど、危機管理能力に長けた人が多いのか、頭数にはそぐわず異様に静まり返った公園内にはよく響いた。 「どうなってもいいの? 俺の手」 「ダメ…絶対ダメ…」 呼吸…出来てるのかな。 仕掛けておきながら心配になるくらい、雪の肩が激しく上下してる。 「…じゃあ、こっちに来て」 右手は地面に、そして左手は雪へと伸ばしてそう告げれば、結構揺さぶれた感じだったけれど、 「ぇっと…でも」 ふうん、まだ躊躇するんだ。 「――――――なら」 そう区切って動いた俺の本気度がやっと伝わったのか、 「きぃぃぃやあああああああぁぁあ!!!」 この成り行きを知らない人が聞けば、まさに壮絶さしか思わせない雪の盛大な悲鳴が、空へと長く吸い込まれた。 |