小説:秘密の花は夜香る


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秘密の花は夜香る
SECRET:04


 『――――――自分だけの香り…そう思い立って、直ぐに実現させてしまうのは流石だね、サクヤ』

 画面の向こうで楽しそうに笑うサネハルに、オレは居た堪れない感覚を呑み込んで口を開く。

 「まだ実現していません。イランイランをラストノートに配合してもらっているのですが、これだっていう香りが見つからなくて」
 『――――――イランイランの香りは、僕も好きだよ。生命力の強い、逞しい木だ』

 記憶を探るように目を細められて、オレは首を傾げた。

 「日本にもありますか?」
 『――――――庭で育てている人はいるだろうけど、名所としては記憶にないな。僕は新婚旅行で見たのが初めてだったよ』

 新婚旅行…。

 「どちらにおいでになったのですか?」
 『――――――インドネシア』

 やっぱりか。
 あっちでは新婚初夜のベッドにイランイランの花びらを撒く習慣があるから、サネハルもその歓待を受けたんだろう。

 夜の香り、なんて異名もあるしな…。


 『――――――イランイランは、特別な小鳥がとまれば、格別な香りの花が咲く、なんて伝説もあるね』
 「へえ…」
 『――――――もしくは、その小鳥がとまったからこそ、特別な香りになる…とも』

 また、鶏が先か卵が先か、だ。

 「誰のラストノートが一番かぐわしいか、が要点でしょうか?」
 『――――――その人の香りだからこそ、――――――という意味でもあるのかな?』

 意味ありげに笑うサネハルに、オレは肩をすくめる。

 「サネハルはロマンチストですね」
 『――――――ははは、妻にも良く言われるよ』

 ロマンチスト――――――…か。


 「本当は…夜に咲く花の香りで探せたら良かったんですけど」


 オレの名前は咲夜さくや・ヴァルフレード・ロランディ。
 サクヤという名は、一暁《かずあき》という明け方の名を持つ父さんとの対の意味を持つ漢字をあてたいと望んだ母さんが考え付いて、ヴァルフレードという名は祖父が先祖からとって与えてくれた。
 どちらをミドルネームにするかはかなりもめたらしいけど、神話好きの祖母の援護でサクヤがファーストネームとなり、ただしロランディとして署名をするときは、サクヤをSで省略してヴァルフレードを主体に書く。

 珍しい名前の割に、由来のエピソードはそんなに濃くないけれど、サクヤという響きはずっと気に入っている。
 だから、香りを作りたいと思い立った時、夜の花に真っ先に注目した。

 「でも、これという香りが無くて――――――しっくり来たのはイランイランだけでした」

 ちなみにイランイランは、夜中に咲く花とは言い難い。
 夜の為の花――――――という意味でなら、知名度はあるけれど。


 『――――――サクヤ』
 「なに? …サネハル?」

 いつもより丁寧にオレの名前を呼んだ割に、少しだけ考えるような仕草で視線を落としたサネハルは、戸惑ったオレに応えるように再び顔を上げた。

 『――――――サクヤ、もしかして君のその名前には、日本名…漢字がある?』
 「え? あ、はい。夜に咲く、と書いて、咲夜さくやです」
 『――――――…咲夜さくや…、そう、だったのか…』

 手で口元を隠し、物凄い困惑顔をしながら、視線はぐるぐると部屋中を巡っているみたいだ。

 「サネハル?」
 『――――――いや、何て言うか、驚いたな――――――こんな偶然、あるものなのかと…』
 「え?」
 『――――――実はね、僕の娘も、夜に咲くと書くんだよ』


 え?


 「ほんとに?」


 そんな偶然――――――、


 「えーっと、サネハルの娘さんの名前って…」
 『――――――咲夜さやだよ』
 「咲夜さや…」

 確か、オレより年下だった筈。
 こんなに驚いているサネハルを見ていれば、真似たんじゃない事はもちろん判る。



 「ほんとに凄い偶然ですね。――――――名前の由来は?」

 夜に咲くなんて、ちょっと意地の悪い人なら、娼婦とか夜の女とか、そっちの方を想像しそうだ。
 なのに、言語の力を良く知っているサネハルがなぜ女の子にその漢字を選択したのか、好奇心を隠さずに訊ねればサネハルは嬉しそうに笑った。

 『――――――夜に咲くような女の子になって欲しくてね』
 「……」

 …サネハル、どうリアクションすればいいんだ、これは。


 『――――――迷って、途方に暮れて、真っ暗な世界に力尽きて蹲った人に、そっと柔らかい光をかざせるような、そんな人になって欲しくて』
 「…サネハル…」

 じん、と。
 温かいものがオレの内側に滲み湧く。

 こういうサネハルの奥の深さが、オレが彼に誰よりも親しみを覚える理由。
 主体性の無いただ見目好く着飾った上辺と、教科書通りの知識だけで作られた他人に囲まれる機会が多いオレにとって、サネハルの言葉は無条件に染みてくる。
 どんなに離れていても、父さんが最後に頼る友人だと信頼する根拠はそこにあるんだろう。


 「…いつか、会いたいな」
 『――――――ああ。ぜひ日本に遊びにおいで。紹介するよ』




 ――――――
 ――――

 毎日三十分。
 積み重ねたトータル時間は他の先生と同じだけど、その密度は高かった。
 パブリックスクールでの生活の基盤は、そこで出来た新たな友人達と、サネハルとの日課。

 変化するのは、爆速で伸び続ける身長と、それによって常時抱える事になった体の痛み具合、空模様、風の匂い、そして株価とオレ個人の資産。


 「ねぇ咲夜さくや、インディア考察の資料、まだ持ってる?」

 開けっ放しにしていたドアをノックしながら顔を覗かせたのは宮池たくみ
 出会った一年前は、ただ可愛いらしいだけの見た目だったのが、骨格が出来てきたからか、少し前から性別問わずにプリンスとばれ始めたオレの親友だ。
 確かに、そう呼ばれる雰囲気はあって、ゆったりとした目線の流し方とか、全身で奏でる所作もその所以。

 「あー、悪い、ついさっきアンジーが持ってったばかりだ」
 「そっかぁ」
 「次はお前に回すようにラインしておく」
 「よろしく」

 周囲には穏やかな笑みを振りまきながら、けれど、自分へは枷のように厳しく棘を向かわせるという自虐的な性質の持ち主であることは、補足しておく。
 気づいている人間は、ほとんどいないと思うけど。

 「咲夜さくやはこれからオンライン?」
 「ああ。今日はいつもより時間かかると思う」

 昨日、何の連絡も無しに授業に来なかったことをサネハルにきっちり説明して貰わないと。

 「そっか。――――――その後はラウンジに行く?」
 「そのつもりだ。これからレポートなんだろ? 途中で声かけるよ」
 「うん。じゃあ後で」

 寮のラウンジで、みんながカードゲームをするのを眺めるのが最近のたくみの趣味だ。
 傍らに、ネロという真っ白な猫が寄り添うようになってからは特に、その毛並みを整えながら他人を眺めるのが最高のリラクゼーションになっているらしい。

 たくみを見送ってドアを閉め、デスクに寄ってラップトップを開き、ツールを起動した。

 オンラインになった途端、デフォのメールアプリが起動してきて自動送受信を開始する。
 その動作を見ながら椅子に座り、体勢を整えた頃にはスタートアップに設定したコミュツールも起動完了、カメラがオンになって、ミュートを解除――――――…、


 「――――――え…? なんだよ、これ…」



 通知領域に表示されたメーラーからのメッセージに、震える手で、叩くようにして机の端にあったスマホを握った。

 短縮で父さんへと発信する。

 1コール、2コール、


 「――――――ッ」


 応答を待つ間に、クリックして最大化していた画面の文字が滲んできた。
 頭の中で、無機質なコールが繰り返される。

 それが何かを奪うように、だんだんと呼吸が苦しくなって、喉が詰まる――――――。


 「なん、で…ッ」


 それは、

 そのメールの内容は、


 不慮の事故でサネハルが亡くなったという報せで、


 「なんで…!」

 契約内容や事務処理については、改めて代理人から話をするという、悪戯とは思えないほど具体的なもので――――――…、



 『――――――咲夜《さくや》』 
 「…父さ、サネハルが」
 『咲夜《さくや》、これから日本に行ってくる。詳細が判ったら連絡するから』
 「あ」


 何も言わせてもらえないまま、容赦なく切られた通話に、親友を失った父さんの動揺が量れた気がした。



 なんで、

 どうして、


 そればかり、頭の中を回っている。



 "――――――また明日、咲夜さくや"


 もうすぐ紅葉の季節だと、遠くない未来の事を目を細めて話していた一昨日のサネハルが、オレが見た最後だった。









著作権について、下部に明記しておりマス。



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