小説:秘密の花は夜香る


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秘密の花は夜香る
SECRET:05


 結局、父さんから連絡がきたのは日本から戻ってからで、トラックが歩道に乗り上げた事故に巻き込まれたらしいことや、家族を見ていられなかった事とか、落ち着いたら母さんも一緒に墓参りに行く予定だとか――――――そんな、ピースのような情報がぽつりぽつりと齎されただけ。
 オレ以上に、深くサネハルを偲んでいる筈の父さんに、何をどう尋ねればいいのか一歩が踏み出せなくて聞き役でしかいられず、一方で、巻き込まれた子供を守ろうと行動したサネハルに、また一層、尊敬が積み上げられる。

 『――――――日本語の講師は…どうする?』

 どんな時でも、立ち止まるという選択肢は憚られる。
 ロランディの執事あたりからそう言われて指示を求められているんだろう。

 「…もう必要ないよ。ここには、実践で使える環境もあるし、…サネハル以上に合う先生がいるとも思えないし」
 『…』
 「…ハードル、上がるよね」
 『そうか。――――――そうだな』

 言葉に吐息を交えた父さんの声に、グツグツと、オレの中で何かが燻る。


 「――――――友達が呼んでるから、もう切るよ」
 『わかった。また連絡するよ、咲夜さくや。体に気を付けて』
 「…うん。父さんも。じゃあ」

 通話が終わったと同時に、窓から差し込む日が陰った気がした。
 スマホを無意味に見つめている内に、聞こえていた筈の寮内の喧騒が届かなくなる。
 まるでこの部屋が真空にでもなったかのような錯覚が、床に垂直だった筈のオレの感覚をグラリと揺らした時、ドアが特徴を以ってノックされた。
 オレの返事を待たずに、間髪入れずドアを開けるのもそれが誰かという次の証明。

 【アンジー、勝手に入ってくるな】
 【別にいいでしょ。イケない事をするには早すぎる時間じゃない。はい、資料】
 【…たくみに回せって言った筈だ】
 【あー、そうだっけ?】

 オレから目を逸らして記憶を辿るようなふりをしつつ、ダークブラウンの肩を過ぎたボリュームのある髪をかきあげる。
 そして椅子に座ったままだったオレの傍までやってきて、持っていた資料を机の上に投げ置いた。

 【おい、図書館からの借り物だ】
 【これくらいで破れたりはしないわよ】
 【心構えの問題だろ】
 【変に真面目なんだから、サクヤって】

 アンジーの手が肩に添えられる。
 少し前に、初めて舌を絡めるキスを覚えたばかりの彼女の目が、微かに欲を光らせていた。

 【なんか、ここしばらく変じゃない? サクヤ】
 【そうか?】

 何があっても意図しない感情を悟らせてはいけない。
 幼少の頃からの教育もあって、サネハルの訃報からこっち、努めて平静を装ってきたつもりだったのに、まだまだという事なのか。

 【これでも一応、あなたの現在《いま》のガールフレンドなんだから】
 【…】
 【構ってくれないと、次の子にバトンタッチなんかしてあげない】
 【アンジー…】
 【不真面目なサクヤに会いたいな】

 薄い青の瞳が近づいてくる。


 ――――――そういう事か…。


 隠している筈の内側を見透かされていなかった事に安堵して、オレはアンジーのキスを受け止めた。




 ――――――
 ――――


 【あなたは!】

 ぴんっ、

 【いったい!】

 ぴんっ、

 【何をしてるの、よ! このこのこの!】

 ぴんぴんぴんっ、


 唯一、外部の人間との接触が許されている談話室で会うなり、開口一番で詰られた。

 デコピン付きで。

 【結構痛いぞ、これ…】
 【痛くしてるの!】
 【…久しぶり、マリー】
 【ええ、ほんとにね。まさかこんな苛々した状態でサクヤに会う事になるなんて思ってなかったけど】

 前回会ってから二年くらいか。
 印象が大人びたものに変わるくらい伸びていたプラチナブロンドが、口を開くたびに左右に揺れる。

 【マリー、いきなりなんなんだよ。しかもオレ、寮のセンセーから"家族からの面会申請"だって言われて来たんだけど?】
 【いいじゃない。家族みたいなものでしょ】
 【…どうやって証明したわけ? オレには女の姉妹《きょうだい》とかいないけど】
 【そんなの知ってるわよ。私は、おばさまの委任状片手に、自分の身分を証明しただけ】
 【…母さんか】

 ため息を吐きながら、ラウンジに用意されたソファへと座り込む。
 そんなオレを見て、マリーも大きな鼻息を一つ出してから、オレの向かいに腰かけた。

 ドサッという効果音付きで。

 …ほんと、ジェズがいないと淑女とかいうのの欠片もないな。


 【ここ半月、サクヤからの定期連絡が遅れがちだって、電話もそうだし、メールすら事務的で、そんなの、家族の義務を重んじるあなたらしくないって、おじさまもおばさまも心配していらしたわよ】
 【…ちょっとレポートが多くて何度か後出しになっただけだよ】

 足を組んでマリーの灰色の吊り上がった眼差しから目を逸らせば、

 【そ、れ、に】

 身を乗り出すようにして、再びオレの視界に入ってくる。

 【先週のパーティで聞いたんだけど、二か月でガールフレンドをチェンジする運行をしていて、既に二年先まで順番待ちで埋まってるって、一体どういう事かしら?】


 げ。

 なんでマリーまでその情報が洩れてるんだよ。


 【三人目のガールフレンドがここから転校して行ったでしょ? その子と会ったの。まさに運命ね】
 【なんで運命?】
 【弟分のあなたが! 女の子を泣かせる不埒な男に成り上がろうとしているのを止める為に、神様が彼女を私の前に遣わしてくださったんでしょ】

 …そう来るか。


 【サクヤ…】

 ふと、マリーの声音が落ちる。

 【あなたもしかして――――――匂いフェチを満たす為に、色んな女の子をローテーションして…】
 【違う】

 被せるように否定して、背もたれに身を預けた。

 【わかり易くしただけだよ】
 【わかり易く?】

 首を傾げるマリーに、オレは小さく頷いて話を続けた。

 【入学早々から、それなりにモテたわけ、オレは】
 【でしょうね。おじさまとおばさまからいいとこ譲りのその美貌だもの。仕方ないわ。――――――ジェズの方が断然カッコいいけど】
 【…で、なんとなく意気投合して食堂で良く話してた子が、数日で一部の女子のターゲットになった】
 【…ターゲット?】
 【小さい嫌がらせを、厭味なくらいコツコツと積み上げてさ】
 【――――――そういう事ね】

 当時のオレは甘かった。
 世界中の名立たる家の令息に混じれば、自分はそんなに目立つ存在じゃないと思っていたし、周りも、それなりに身分が証明された生徒ばかりだから、低次元の行動なんかあり得ないと、想定すらしていなかった。

 【校則もあるし、社交界に向けた評価の目もあるから、大事は起きないと高を括っていたのと、それを逆手に取られたのがオレの失敗。気が付いた時にはその子から笑顔が消えてて…。けど別に、正式に付き合ってたわけじゃないんだ。ガールフレンドって距離感でもなかった。本当に、ただの仲が良い友達だったんだ】
 【サクヤ…】

 マリーの眉間が、何か言いたそうに狭まったけれど、構わずに続ける。

 【だから、暗黙の仕組みを作った。別のその子だけが特別じゃない。オレにとって、ローテーションに入ってくれるなら、君も同じく特別だ、ってね】
 【…良策のような、愚策のような…】

 拗ねたような方向にますます表情を歪めたマリーを見ていると、ふと、全身から気が抜けた。


 そして初めて気が付く。
 ずっと、オレの何かが強張っていたんだと。


 【――――――ねぇ、長年、お世話になった方が突然亡くなったのでしょう?】



 その不意を突いた切っ先に、ハッとマリーを見た。
 オレを射抜く様に、真っ直ぐに見てくるグレイアッシュの瞳。


 【おばさまがね、私をここに寄越したのは、きっと連絡がこないとか、メールの事とかじゃないの】
 【…】
 【おじさまが、苦しそうで、――――――もしかしたらサクヤも、同じように苦しいんじゃないかって】
 【…それは、父さんにとっては親友が亡くなったんだ。苦しいに――――――】
 【そうじゃなくて】


 マリーが、まるで握手を求めるように手を伸ばしてくる。
 ワケが分からずに動けなかったけれど、その手を取らない内はマリーが続きを話す気はないと気付いて、仕方なく手を差し出した。

 指先を握られ、もう片方の手で、その上から包み込んでくる。


 【おじさま、後悔していらっしゃるみたい】
 【…え?】
 【あなたを、日本に連れて行かなかった事。――――――その方との、お別れの機会をサクヤにあげられなかった事】
 【…】


 ――――――父さん…。


 【自分の事で精一杯で、サクヤの事を思いやれていなかったって。――――――おばさまがおっしゃるには、だけど】


 唇を噛む。

 それと同時に、オレの手を握るマリーの指に、力が入った。


 違っていた体温が、ゆっくりと馴染んで溶けて、一つになる。
 オレと、そして父さんを知るマリーにだから、きっと正しく伝えられる。


 【…ぅん】


 あれから何度も後悔した。
 サネハルとの別れの儀式に、行けば良かったと。

 行きたかったと。


 友人を亡くした父さんに気兼ねして、気弱になり、行こうと思えば日本に駆け付ける事は出来たのに、オレは、それを実行しなかった。









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