小説:秘密の花は夜香る


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秘密の花は夜香る
SECRET:07


 オレが初めて女を抱いたのは、高等部に入ってすぐのフレッシュマンの年。
 日本で称《い》うと、中学三年生のグレードの時だ。

 相手は最終学年であるシニアの先輩。
 例の二カ月サイクルの中に入ってきた、正直、オレを相手にする必要があるのかと思わず疑いそうになる程に綺麗な人だった。
 この学校でも希少な爵位持ちの家の嫡男に、デビュタントのパートナーとして物凄いアプローチをされた事も頷ける程に。

 しっとりとしたブラウンの髪の手触りが好くて、艶めいていて、一緒に勉強をしても、敷地内《こうない》の森の中でデートをしても、キスや、それ以上も、心地いい。

 もちろん、オレが彼女にとっての"初めて"じゃない裏側の奔放さも以前から知っていたから、お互いが楽しければ良いというスタンスが大きかった。
 相性が好いとう事の実感を齎された二か月は、驚くほどあっという間だった。


 【ん〜、堪能。これでお別れかと思うと、寂しいわ】

 最後の長いキスを終えて、彼女は笑う。

 【結構楽しく愛し合った自信あるんだけど、寂しそうな表情を少しも見せないところがほんとむかつくわ】

 ピン、と鼻先を指で弾かれた。
 こうして、三つの年の差を盾に僅かなマウントを愛嬌を混ぜてとってくるところはデフォルトだ。

 【でも――――――そろそろあなたも、潮時じゃない?】

 ふと声が静まった彼女の声が、最後にオレに何かを伝えようとしている事を理解させる。

 【女の子との、こんな関係性】
 【…そうかな?】

 オレが、愚かだった入学当初より成長したように、周囲も思考のステージを上げた。
 現在《いま》の全てであるこの出来上がった世界の中で、誰かを虐げて自分の価値を下げる子供はもういないという事だ。


 【絶対そうよ。本当の意味でエスコート出来る男にならないと、肝心なところでミスをするわよ。人数をこなしても、一人に対して二か月という薄っぺらい経験値じゃ、高が知れてるもの。現に私も、こんなものかなって感想だし】

 それは、オレの見た目じゃなくて、中身、つまり男としての人間性を問いている。

 【せっかく外見に引けを取らない中身の素地があるのに、育てないと寝かせてしまうわよ】
 【…】

 同情にも似た視線でそう告げられて、細い指の先で頬を撫でられる。
 じわりと、そこから熱が広がった。

 ずっと、胸の奥底の方までも――――――。


 【…今度は、オレが申し込んでもいい?】
 【――――――え?】


 エメラルドグリーンの瞳が、驚いたように見開かれる。


 【次の人に、ちゃんと話をして断ってくるよ】
 【サクヤ…?】
 【それが終わったら、オレと正式に付き合って?】

 彼女は、しばらく無言だった。
 一度も、オレから目を逸らさないところがとても好きだと、清々するほど真っ直ぐに思えた。


 【――――――ふふ。いいわ。私もそろそろ、ちゃんとした恋がしてみたいと、思ってた】


 今までまったく見せられていなかった彼女の柔らかい笑顔が、オレの初恋の始まりだった。





 付き合った相手とセックスをしたいと思うなら、この学校では想いが通じ合った事を周囲に悟られるのは愚行。
 性行為禁止の校則は建前で、要は情報統制の手腕の問題。
 モラル的に、世間的に、そして名のある家の人間として、律して行動し操作する事を到達点としている。

 自分を律せない奴は秘密の保持は出来ない。
 人を見る目がない奴は共有した秘密を暴露される。
 生徒の中には学校側のスパイがいて、疑惑を持たれればトラップだって仕掛けられる。

 一つ先輩が、そのスパイに引っかかって至福の夜を過ごした翌朝、自室の部屋のドアに「退学」と張り出され、その日の内に学校を去って行ったのもつい最近の事だ。



 「さっきの女もトラップだよ。ほんとお前、良い勘してる」

 甘そうな見た目で、すり寄り上手。
 たくみが無意識に目を惹かれているタイプを投入してきた時は、さすがに羽目を外すかとブレーキのタイミングを身構えていたのに。

 「あー、…うん」

 困った表情で濁した後、足元に張り付いているネロへと愛しそうに目を細めたこいつは、どうやらこの真っ白な腹黒猫に骨抜きにされているらしい。


 「咲夜さくやは――――――、最近はずっと同じ香りだね」

 ネロの毛並みを整えながら、呟いたたくみには他意はない。
 自分の全てを垂れ流して打ち明ける事が信頼の証だとは考えていないオレと、自分と他人との線引きの太さが半端ないたくみとは、こういう所がしっくり来ているんだと思う。

 「ああ、そうだな。…匂うか?」
 「うん。なんか、薔薇の香りは咲夜さくやっぽくないね」
 「そうか…」

 たくみの言葉に、そういえば、と思い出す。

 イランイランの香りで開発したボディソープの販売を軌道に乗せてから、それきり、燃え尽きたように香りへの拘りを忘れていた。
 傍にいるガールフレンドの香りは二か月おきに変わったし、ここ半年はムスクを乗せたローズに包まれっぱなし。

 ロランディからの課題と、学校の宿題、レポート、どうしてもオレの手が必要な会社の執務、次年度に向けての論文、週末のデート、たまにセックス。

 執着していた拘りを、良い意味で忘れていたという事は、充実した日々を送れているという事だ。


 「咲夜さくやには、薔薇よりさ、もうちょっと音色が高めの香りが似合いそう」
 「音が高め――――――」

 面白い表現をする。

 「例えば?」
 「ん〜、スズランとか、リラ――――――とか?」

 言われて、そういう事かと納得した。
 たくみと出会った頃、オレはそのボディソープの香りサンプルに囲まれていた。
 甘さの中に透明感のある、鈴蘭やストック――――――つまりリラの花の香りに。

 きっとあの最初の記憶についた香りの栞が、オレのイメージに繋がっているんだろう。


 「たくみ、今度オレのボディソープ、わけてやる」
 「え? 何だよ急に」
 「いいだろ? 黙って自慢されてろ」
 「自慢? …全然意味わかんないんですけど…」
 「気にするな。オレの香りに染めてやるよ、たくみ
 「え? 何言ってるの? 咲夜さくや? もっしもーし?」


 自由で不自由な学校生活は、大抵はオレ達に優しくて、限りある世界で、けれど壮大で、繊細で――――――。

 こんな事がなければ思い出しもしない。
 盲目になり、世間を忘れ、一人で生きていける気になったとしても、オレ達がまだ、保護を受ける義務のある、そんな年齢だという事を。









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