小説:秘密の花は夜香る


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秘密の花は夜香る
SECRET:09


 「咲夜さくや、これからどうする?」

 言いながら、ルビさんが取り出した懐中時計にその琥珀の視線を落とす。

 「僕の方はまだ次の予定まで時間があるけど、一緒に食事でもする?」
 「はい、ぜひ」

 オレの答えを受けて、大輝さんがスマホを操作し始めた。
 ルビさんの周りにいる人間は、こんな風にルビさんの指示や合図よりも先に自ら動く人材が多い。
 ルビさんが秘書を置かない理由がそれなのか、だからこそ、こうなってしまったのか。

 …これも、鶏か卵的な現状だけど、どちらにしても、与えられた役割を矜持《プライド》として教育されているロランディの視点からすると、本宮グループ総帥としてのルビさんの在り方はかなり異質だ。

 「咲夜さくやはどうやってここまで?」
 「あ、バスと電車乗り換えて」
 「――――――そう」

 オレの答えに、ルビさんは小さく笑い、大輝さんは動きを止めた…のは一瞬で、またスマホでのやり取りに戻る。
 小さい頃から専属のボディガードを傍におき、スキップした大学への登校さえも専用車で移動していたルビさんサイドからするとこれも驚きの項目らしい。

 ハリウッドスターは所詮エージェントと契約した個人に過ぎなくて、大企業や財閥系の子供より、そっちの方がリスクが少ないという錯覚に惑わされた奴らに、ルビさんは何度も誘拐されかけたと聞いている。

 「…なんていうか、敢えて"室瀬"を名乗ってる仕事に、ロランディを手足として使うのはどうかなって。少しでも気持ちが引っかかるくらいなら、使わない方が良いって考えました」

 補足すれば、ルビさんは"わかってるよ"と言わんばかりに口角を上げて頷いた。

 「うん。まあ、そういう事に拘るのも、若い内かな」
 「…」
 「ん? 何?」
 「いえ…、ルビさんの口から"若い"とか出るの、変な感じだな…って」
 「――――――ああ」

 クスクスと、笑うルビさんの瞳が意地悪に煌めく。

 「なかなか貫禄がつかなくて困るよ、ほんと」
 「あ、そういう意味じゃなくて」
 「ふふ、それも解ってるよ、咲夜さくや
 「…ルビ、咲夜さくやさんを弄らないで下さい。――――――予約が取れましたので、ヘリポートまで移動をお願いします」

 ヘリ…って、近場で軽くって、そういう食事じゃなかったのか。
 財閥としての規模は確かにロランディの方が上だけど、世界観が全然違う。
 これが当主と、まだ学生の身分である子息との違いだよな。

 力も、権威も財力も、オレが持っているのは、ただロランディの名前から背後に聳え立つ張りぼてだ。


 「――――――それにしても、黒髪にするだけで、まるで別人だね」

 言われて、オレは自分の視界の上に僅かに見える前髪に触れた。
 それは、本来の金髪ではなく、カラームースで染めた色。

 「いつもは髪の色や瞳の色が際立っていて、ずっとマダムに似ていると思っていたけれど、こうしてみると日本人に見えなくもない。顔立ちは父君に似ていたんだね」
 「オレも、初めて染めた時は驚きました」
 「その姿なら、日本語を流暢に話していても違和感はないね。――――――黒のコンタクトがあれば完璧かな。その青は、漆黒に合わせるには神秘的過ぎるよ。ベッドの上でなら、恋人が喜びそうだけど」
 「何プレイですか、それ」

 車の準備が出来たと大輝さんに声をかけられ、ルビさんが立ち上がったその後に続いて歩く。

 「まだ続いてる? ――――――幾つか年上だったよね」
 「三つです。まあ、何とか飽きられずに続いてます」
 「年上の女性から学ぶことは多いからね。相手の意に沿う限り、全力で大切にするといいよ。ずっと先の未来が共にあってもなくても、必ず君の力になる筈だから」

 そう言ってオレの肩に手を置いた、十四歳の頃には既にマダムキラーとして社交界で名を馳せていたルビさんは、未だ独身。
 何度か会った事がある千愛理さんは間違いなく体の関係もある恋人らしいけど、結婚式への招待状はまだまだ先らしい。

 「――――――はい」

 訊けば、きっと答えはくれるだろうけれど、オレに何かを伝える時、ルビさんは自らの経験からも話してくれる。
 必要な事なら、いつか自然に話は下りてくるだろうと、オレは久しぶりのルビさんとの心地いい時間を存分に楽しんだ。



 ――――――
 ――――

 「たくみ?」

 個室の扉をノックする。
 午前の授業を終えたランチタイム。
 いつもなら、ネロの為に開けられている隙間が、こうして閉ざされているだけで普通じゃない。

 「開けるぞ」

 同じ選択科目の奴らの話によれば、たくみは間違いなく一限目には出席していた。
 オレと一緒の次の地学には現れず、

 「――――――たくみ?」

 ドアノブを廻せば、内鍵の障害はなくすんなりとドアは開く。
 ただのさぼりならいいけれど、体調を崩していたら問題だ。


 「んなぁ」

 電気が点いたままの室内で、まずオレを出迎えたのは窓の前に座り込むネロ。
 上がった下の隙間に向けて、カリカリと爪を立てている。

 「お前、いたのか。――――――出たいのか?」
 「なぁ」

 音を立てて窓を上に持ち上げた途端、ネロは一直線に外に飛び出していく。
 駆け出した先は、森の方だ。

 「…あいつ、礼も無しかよ」

 苦笑しながら、部屋の主がいない室内を見渡したオレは、端にあるものに思わず動きを止める。

 「…なんだよ、これ…」

 折り畳まれたダンボール。
 その傍にあるスーツケース。

 そしてそれには、クローゼットから、明らかにパッキングが始まっている。


 「…たくみ?」

 波紋のような未知の衝撃が、オレの全身にゆっくりと広がった。











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